身内という陥穽
1
作家が何ごとかを私たちに伝えようとするのであるならば、そこには禁じられたものや除外するべきものなど何もないのである。性的な結びつきの多様性もそうだ。
様々な人間の間で性的な関係が結ばれるが、一般に禁じられている性的な関係がある。近親相関と強姦は代表的なものであろう。ただし、境界例というものは必ずあるし、文化によっては容認される形態もある。
近親者間の性的関係は隠されていることが多いため目につきにくいが、それほど稀なことではない。禁じられている(あるいは忌避されている)ゆえに、合意を欠いた形態をとることも多い。文学的には取り上げにくい題材であるかもしれないが、私には気になる作品がいくつかある。そういう私の興味はゲスなものにも見えるだろう。しかし、そのような視点から解釈してみると、既存の評価とは異なる作品の姿が現れてくる。
ここで取り上げるのは、志賀直哉『暗夜行路』、島崎藤村『新生』、谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』の三作である。いずれも身近な人間の間の性的関係が取り上げられている作品である。当然、当事者にとってその関係が持つ意味を私たちは作品の中に見出すそうとするだろう。しかしながら、その関係がどのように取り扱われたのか、あるいはどう取り扱われるべきだったのかといったような世俗的(非文学的)観点で語られることがほとんどだった。
むろん、作者自身もそういう観点を無視できない。性的関係が社会に表向きどの程度許容されるかによって、また、それに対応する隠蔽や挑発などの作者の意図によって、性的関係のどこに表現の重点を置くかが左右される。
一方、その時代々々によって読者の興味の焦点も異なるであろう。私たちの時代は性的関係に、以前よりは寛容である。もちろん偏見は消え去らず、偽善に満ちた道徳的たてまえも頑強であるが、性的関係をそれ自体として受け取ることにさほど抵抗はない。
特に身内の性的関係に注目することにどの程度意味があるか分からないが、そうすることで違った景色が見えるかもしれない。
2
安岡章太郎は『志賀直哉私論』の中で、『暗夜行路』の主人公である謙作が妻の直子の「過失」を知った後に示した態度に疑問を呈している。
正直にいって《俺から云ふと総ては純粋に俺一人の問題なんだ》といふ言葉は、直子の過失について言はれたものとしては、真実味がうすらぐのである。勿論、謙作が直子を大して《認めてゐない事》はたしかだらう。しかし、だからといって直子の過失をきいて謙作が最初から、それを自分がいかに許すかといふ点だけしか考へてゐないことが納得し兼ねるのである。もし、あの寛大さが最初から謙作にあるのなら、彼が自分の“不愉快” にあれほどこだはって直子を追求したことは不可解であり、追い詰められて背中を波打たせて泣く直子に《恐しい事》を意識することもない気がする。直子を認めてゐるにしろ、謙作は《イゴイスティック》な、《同時に功利的な考へ方》の男として、妻を奪われたことはそれ自体、もっと激烈な怒りと、痛切な哀しさに、おそはれないでゐられるはずがない。
安岡章太郎はその原因として「最も簡単に志賀氏の結婚生活の経験からは、謙作と直子のやうな不幸な事態は想像出来なくなったためだと言って、間違いないだらう。端的にいへば、妻の過失といふ不祥事を、作家として体験できなかった」という点に求めている。さらに「自分の経験だけを書く私小説家の立場に立って、独断を言ひすぎるかもしれない。しかし、観念を人物化することは、その観念が自分の肉体から得たものでないかぎり不可能なはずだ。まして、われわれの場合、他人の体験を自分のものにすることは出来ない」と付け加える。
しかし、安岡の批判は、志賀が「妻を奪われたこと」を書こうとしていたということを前提にしており、その前提が間違っていれば成り立たない。そもそも、志賀が私小説的にしか書けないのであれば、なぜ架空の「不倫」事件などを書こうとしたのであろうか。それだけでも、志賀が経験したことしか書けない、あるいは書かないといった決めつけへの反論になっている。
『暗夜行路』は時任謙作が二つの精神的危機を乗り越えて、自らを支えてくれる確かな精神的足場を求める物語である。危機の一つが出生の秘密(彼が母と祖父の間にできた子であるということ)、もう一つが妻の直子の「過失」(直子といとこの要との性的関係)である。いずれも正当化され得ない男女関係がもたらしたものだ。これらが虚構であることは言うまでもない。
志賀が虚構的な作品を書いていることは否定できない。志賀に批判的な批評家は、そういう作品についても私小説「的」ということにして、志賀を無理やり私小説家の範疇に取り込もうとする。彼らは彼らの枠組みから外れた志賀が見えないのだ。そういう偏見から免れていれば、『暗夜行路』の構成の意図は明らかである。直子の「過失」は謙作の受難としてのみ用いられているにすぎない。そのために作者は、謙作が「激烈な怒りと、痛切な哀しさ」を感じないように様々な工夫をしているのである(そのことは後述する)。
志賀はむしろ思想的な傾向の強い作家なのである。虚構はその思想を展開するために使われている。初期の作品である『剃刀』や『范の犯罪』などはそれが明確である。そこで語られているのは、「気分」は殺人をも正当化するほどの存在性があるということだ。たわいもないことにも思えるが、カミユの『異邦人』にも通じる哲学的意味を備えている。実存主義的と言ってもいい。志賀はそのテーマにずっとこだわっていて、『暗夜行路』にも引き継がれている。
『暗夜行路』では、謙作に危機をもたらす状況はプロットとして殻なのであり、「気分」がテーマとして実なのだ。謙作は「気分」にどう対処するかに常に悩まされている。初期の作品のようには、「気分」を祭り上げることはできない。さりとて、単に「気分」を抑えるだけでは根本的な解決にはならない。「気分」の実在性から解脱するために謙作は苦闘するのである。
しかし、作者が作品の殻として男女関係を使っているのには、それなりの理由があるはずだ。作者がはっきりと意識していないとしても、それはもう一つのテーマを潜ませているのである。
3
小林秀雄が『暗夜行路』を恋愛小説だと評したことがある。この小説の殻の部分は確かにそのようにも見える。
この小説は謙作が友人の妹である愛子への求婚に失敗したことから始まっている。結婚生活への期待を裏切られた彼は、いわゆる「商売女」にその埋め合わせを求める。結婚が与えてくれるはずの性的関係を得られなかったことで、性的欲求が昂じたのである。
謙作は性欲に悩まされることはあっても、性欲自体を嫌うような人間ではない。むろん、性欲を満たすだけのことを目的として女性を漁るような人間でもない。結婚という正式の関係の中で、正当な性的満足を得たいと思っている保守的な人間なのである。つまり、彼は結婚をして好ましい夫婦関係を築きたいのだ。そのためには適切な相手を見つけなければならない。そういう相手を見つけられないので、性欲に悩まされることになってしまうのだ。
謙作が捕らわれているのは単純に肉体的欲望だけというのではない。謙作は異性に関してうるさいのである。まず、容貌がよくなければならない。そして、彼に対して好意を持っていなければならない。たとえ「商売女」であっても、カネにモノを言わせて、というのでは駄目なのである。いわば、「恋愛ごっこ」を望んでいるのだ。
もちろん、対象となる女性たちにとって、謙作たちは単なる客であり、愛想よくするのは商売上の技巧に過ぎない。それでも、彼女たちにも好き嫌いはあり、恋愛ごっこが成立する可能性はある。この小説の時代には若い男女の恋愛ということが難しかったことを考えれば、このよう恋愛ごっこが体験として貴重だったのだろう。
男女の愛における心と体の関係は、この作品を貫き通す副次的テーマになっている。謙作は性的欲求に突き動かされてはいるが、そこに心的な要素を持ち込みたがっているのである。しかし、「商売女」たちとの「恋愛ごっこ」においても謙作の望みはかなえられず、彼は性的快感を求めて買春にのめり込む。そういう荒れた精神から逃れるためには真の男女の結びつきが必要だと謙作には思われた。謙作は、祖父の妾で祖父の死後謙作と同居しているお栄との結婚を考えたが、兄の信行から出生の秘密を知らされて断念する。そして、愛子への求婚の不成功が自分の出生の事情によることが分かる。自分ではどうしようもないことで不幸に陥ることの理不尽さに謙作は打ちのめされる。
そこから再出発した謙作は、直子との結婚によって、理想の男女の結合を実現しようとする。読者が恋愛小説としての『暗夜行路』に不満を持つであろうのは、謙作と直子の「恋愛」が描かれていない点であろう。謙作が直子を見初めた後は、見合い結婚のように周囲の人を巻き込んでことが進み、二人の間の直接な交流はないのである。謙作にとって、心と体がともに結ばれる理想の男女関係は夫婦なのである。夫婦としての形が完成することが、理想の男女関係の始まりであり、それが維持されることの保証になるのだ。
そういう謙作にとって、婚姻外の男女関係は「体」が主とならざるを得ないし、そこに「心」を持ち込もうとする彼の望みがかなうはずもないのである。この小説は「恋愛」小説というよりも「夫婦」小説と言った方が適切であろう。
結婚によって精神の安定を得たかと思えた謙作は、直子の「過失」によって再び危機に陥る。自分の手で作り上げた幸福な生活さえも、最も重要なパートナーであるはずの妻によって簡単に壊されてしまう。直子の「体」という隙間から、他の男が侵入してきたのである。夫婦という制度は理想の男女関係を保証してくれなかった。謙作が夫婦という関係の至高さを守るためには、離婚するか、直子の「過失」に目をつぶるかだ。
直子を赦すためには自分の心を整理しなければならない。男女の関係において心と体はどう結びつくのか、謙作は悩むのである。それは男女の性愛の位置づけに他ならない。それこそ恋愛小説の要点であろう。しかし、謙作はそのことを突き詰めようとはせず、その理不尽さをいかに耐えるかということにのめり込む。作者がそうさせているからだ。
4
なぜ謙作が、安岡の指摘するように、「激烈な怒りと、痛切な哀しさに、おそはれな」かったのかを見てみよう。
まず、謙作は直子を憎めない。直子は意図して他の男と性交渉を持ったのではないからだ。もし直子が意図的であったなら、謙作とて「純粋に俺一人の問題」などと言っておられないだろう。直子が他の男を愛するか、他の男との性的関係を望んだりするような物語の展開ならば、謙作の行動は大きく異なってくる。そのような夫婦関係の例は、大山の場面での「竹さん」のエピソードとして出て来る。「竹さん」に対する謙作の見方からすれば、もし謙作がそういう立場になったなら直子を離婚するに違いない。あるいは、直子に執着する自分に苦しむかもしれない。ともかく、そういう物語を志賀直哉が書こうとしたのではないことは確かだ。
さらに、謙作は直子の相手である要に対決していない。直子の「過失」の後、要について述べられているのは、大山の宿で「此時謙作は不図、留守を知って又要が衣笠村を訪ねて居はしまいかといふ不安を感じ、胸を轟かした。‥‥唯、要の方だけは其時は後悔しても、若い独身者のことで自分の留守を知れば心にもなく、又訪ねたい誘惑にかられないとは云えない気がするのであった」という一か所だけなのである。要は直子の肉体だけを望んでいただけで、そこに恋愛感情的な(精神的な)要素はない、と謙作は思っている。直子でなくとも誰でもいいのであって、ただ性交の機会に目がくらんだ若者の過ちである。つまり、「過失」は直子だけではなく、要にも適用されるのだ。
それにしてもなぜ要を責めないのかという疑問は残る。そのことについては、要が謙作の留守に家に泊まって花札をやったことについての謙作の反応が理解の手がかりになる。謙作は当然不愉快に思ったが、すぐに思い直すのだ。「謙作はあの上品なN老人を想ひ、その愛してゐる一人児に対し、一寸した不謹慎、それも学生として、別に悪気もない事に、自分の我儘な感情から、こんなに思ふのは済まないといふ気もした。N老人の自分に対する最初からの好意に対しても済まぬ事だと思った」。謙作は直後に直子の告白によって「過失」があったことを知るので、その気持ちのままではいられないだろうが、やはり直子の親代わりのN老人(直子の伯父)への遠慮が大きかったろう。
つまり、直子にも要にも怒りをぶつける事のできない謙作は、一人で悩むより仕方がないように作者によって巧妙に仕組まれているのである。そこから、冒頭の安岡章太郎の引用文が取り上げている謙作の言葉が導き出されるのだ。
然し俺から云ふと総ては純粋に俺一人の問題なんだ。今、お前がいったやうに寛大な俺の考と、寛大でない俺の感情とが、ピッタリ一つになって呉れさへすれば、何も彼も問題はないんだ。イゴイスティックな考へ方だよ。同時に功利的な考へ方かも知れない。さふいふ性質だから仕方がない。お前といふものを認めてゐない事になるが、認めたって認めなくたって、俺自身結局其所へ落ちつくより仕方がないんだ。
「痛切な哀しさ」という点ではどうだろうか。謙作は直子の「心」に裏切られたのではなく、彼女の「体」、彼女の「女性」性に裏切られたと思っている。哀れむとすれば、そういう「女性」性を自己のコントロール下におけないという男としての立場だろう。
しかし、なぜそれほどの信頼を直子の「心」に置くのだろうか。妻を保護すべきものとして支配しようとする家長的心情が謙作にもあったのではなかろうか。家庭は夫の思い通りに運営されねばならず、妻は対等なパートナーではなく夫を補助するもの、という考えに謙作も捕らえられていた。だから、妻の離反など思いもよらぬのである。
直子が「竹さん」の妻のように、「心から」謙作を裏切ったのであれば、謙作は「痛切な哀しさ」を感じたかもしれない。しかし、そのような関係は謙作の想定外なのである。謙作は直子の「心」は支配できている(信頼できる)と思っている。それでもなお直子の「体」に裏切られたのだ。「心」と「体」を完全に切り離してしまえれば、謙作は割り切れたであろう。つまり、完全な被害者として直子を見ることができれば、謙作は納得できる。しかし、「体」と「心」がどこかでつながっていて、直子の被害者性がわずかであっても損なわれてしまっているという疑いは消しきれない。
だが、謙作はそのように反省はしない。ただ自分自身の「考」と「感情」の齟齬だけにこだわるのである。頭では分かっていても、気持ちがゆるせない、というのが謙作の言い分なのだ。問題は自分ではどうにもならない気分であり感情である。そういう問題設定のために、作者によって直子の「過失」が持ち出されているのである。志賀はこの問題を追及し続けていたと言っていい。というより、この問題だけをうまずたゆまずにひねくり回していたのである。志賀にとってこの問題は解決のつかないものであった。だからこそ、実践においてではなく、仮想において理想的な解決を提示したかったのである。架空の設定における、思想的な展開。志賀直哉はそういう小説を書きたかったのだろう。
5
謙作は、母と母の義父(謙作の名目上の祖父)との間にできた子供である。これは大胆な設定である。そのときドイツにいた母の夫(謙作の名目上の父)は、母の父(謙作の母方の祖父)の報告に対して、「全てを赦す」と返事をし、帰国後夫婦関係を破棄することなく、新たに子を設けた(謙作の母が死んだのは「産後の病気」と「序詞」にある。このとき生まれたのが咲子という妹だ)。この設定も驚きである。安岡章太郎が疑義を呈するべきであるのは、謙作と直子の関係よりも、謙作の母とその夫の関係であるはずだ。妻と義父(夫の実父)の関係は長期間続いたはずであり、子までなしているのだ。夫が妻のことをどう思ったにせよ、「全てを赦す」ですむはずがないのだ。それでも夫(謙作の名目上の父)が妻(謙作の母)との関係を以前のように維持し得たのであれば、謙作が直子の「過失」にこだわることが馬鹿らしく思える。謙作は(名目上の)父を見習うべきであろう。
それにしても、謙作の(名目上の)父は誰を「赦す」のだろう。妻だろうか、彼の父だろうか、それとも両者なのか。そもそも、妻は義父に無理強いされて性的関係を持ったはずだ。妻は被害者なのである。妻を「赦す」というのであれば、妻にも非があったということだろう。妻は義父に対して徹底的に抵抗すべきであった、あるいは、義父に付け込む隙を与えるべきではなかった、というのであろうか。しかし、他ならぬ夫の父に対してそういうことができたであろうか。それはあまりに過酷な要求ではないだろうか。「赦し」がたいことではあるが、無理からぬところもあるので「赦す」というのであろうか。
責められるべきは夫の父の方である。では、「赦す」は彼に対して言われたのであろうか。しかし、子が父を「赦す」ことなどできるのだろうか。「赦す」のではなく、認める、受け入れるというのがスジではないか。認め、受け入れられないときは、憎しみ、怒り、恨みなどが解消されないままになる。いずれにせよ、「赦す」ということにはならない。
だとすれば、「赦す」はやはり妻に対して言われたのだろう。妻の罪とは、夫以外の男の性的快感のためにその肉体を使用させた、ということであろう。たまたまその男が夫の父であったのである。
しかし、ここでも脱落しているのは、妻の側の気持ちなのだ。妻は義父との性的関係において、常に恐怖、嫌悪、苦痛を感じていたのだろうか。もし、妻の方も性的快感を得ていたとしたら、夫は妻を「赦す」と言えただろうか。
義父というのが微妙な関係なのである。単なる強姦者ではない。継続的な性的関係を維持しうる関係なのである。性的関係が日常化すると、強姦という性格は薄れてくる。性的快感が生じるようになるかもしれないし、さらに愛着も芽生えるかもしれない。
そういう懸念を夫が持たないのは、女性は自ら積極的に性行為を求めることはない、という確信があるからに違いない。性行為において女性は男性の性的快感に奉仕するだけであるから、問題は男の側からの性的要求に女がどのように対応するかということになる。男にどれだけの請求権(?)があるのかが女性の気にしなければならないこととなる。義父のセクハラ的行為に対してどの程度我慢せねばならぬのか、どの程度抵抗せねばならぬのか。
夫が「全てを赦す」と言って寄こしたのは、義父に対する妻の抵抗が徹底的にはなしがたかったことを認めたからではないか。つまり、妻は従うべき親としての義父の強要を退け得ず、性行為の恐怖、嫌悪、苦痛を我慢せざるを得なかったと夫は思っているのだ。
しかし、最初はそうであったとしても、関係の継続が妻の気持ちを変えていった可能性を夫は考えられないのか。夫の父は、ひどく卑しい老人として描かれている。そのため、人格者である夫と親子関係にあるのが不思議なくらいである。そういう男に女が惹かれることはない、と作者は言いたいようである。
直子の場合はどうだろうか。近親の男による強要を拒絶するタイミングを失してしまったのは、謙作の母の場合と同様であろう。幼なじみのいとこであるので、直子は好ましさを感じていたであろうし、そういうことのあった後でも憎しみのような気持ちは持てなかったのではないか。とはいえ、直子が要を性的に受け入れたというのではない。「過失」は一回限りであり、直子はその経験を夫への裏切りとしか受け止めなかった。性的に意味を持つほどの経験にはなっていなかった。もし、直子が謙作に告白をせずに隠し続けていたならば、要は性的関係を求め続けたかもしれない。そうなったときの謙作の衝撃ははるかに大きかったはずだ。
謙作の母の場合は性的関係が長期間に渡った。直子の場合は一回限りであった。その差は大きいはずである。しかし、作者の扱いはその差を無視するものである。つまり、長期間であろうと一回限りであろうと、女性は被害者性を帯びたままである、いや、あるべきなのだ。
母にしろ、直子にしろ、「過失」は災難でしかないように、作者によってしむけられているのだ。謙作は母をも妻をも責めることはできない。自分のこうむった運命、しかも、一度ならず二度までもの悲運を誰のせいにもできないのである。しいて言えば、女性を性交の対象としか見ない男の性的欲求が悪いのだ。そして、それは謙作自身にもある性質である。謙作はその強力さについては認めざるを得ない。
他の男の性的欲求によって夫婦関係の神聖さが損なわれることが災難なのである。それが身内の中で起こるのが、謙作の場合なのだ。
6
不自然と思われる状況設定はもう一つある。謙作とお栄の関係である。お栄は謙作の父方の祖父の「妾」であり、祖父が死んでからは謙作と同居して世話をしていた。謙作は愛子への結婚申し込みを断られたことに傷つき悩み、ふと、お栄との結婚を思いつく。兄の信之に手紙で相談してみると、その返事で謙作の出生の秘密を知らされる。兄が危惧したのは「さういふ事が二重になる」という点だった。つまり、謙作の母とその義父(謙作の実父)との関係、謙作の実父の妾(いわば謙作の義母)と謙作との関係という二つの「不適切な」関係の重なり。
さて、「二重」ということの忌まわしさは置くとして、義母(父の妾)と義祖母(祖父の妾)では違いがあるのだろうか。謙作は義祖母と結婚しようとして、それが実は義母だということを知らされた。もし、お栄が義母と知っていたら、そもそも謙作は結婚をしようとしただろうか。関係の濃淡の意識が義母は避けさせ、義祖母なら容認するということはあると思う。二重性という点では義祖母であろうと義母であろうと変わりはないが、「不適切な」関係が実現するためには、謙作がその二重性を知らずに、そういう関係を望まなければならない。それゆえ、お栄は、謙作の認識としては、祖父の妾でなければならなかった(父の妾ではなく)。そのため、お栄と謙作の位置が二世代離れているという無理な設定となったのである。
そして、出生の秘密が明らかにされ、親が子の妻と性的関係を持ち、子が親の妾と性的関係を持つという二重性が現れかける。二つの関係における「子」は異母兄弟であり、名目上の親子であるという複雑さである。
謙作がお栄と結婚する気になるのは二人が親しい関係にあったからである。祖父の死後も二人は同居していた。しかし、そのこと自体が不可解ではないだろうか。多少の歳の差はあるとしても、謙作が結婚を決意するぐらいであるから、二人の間に男女の関係が成立してしまう可能性は高い。たとえ謙作と祖父の関係が正常なものであっても、周りの人間は配慮するはずである。ましてや、祖父が実父であることを周りの人間は知っているのであるから。
このような無理な設定は、謙作が落ち込みかねなかった陥穽を際立たせるためであったろう。謙作はそのときはこの二重性の現出という陥穽から逃れることができた。しかし、三度目の陥穽が待っていた。直子の「過失」である。
陥穽が身内での不適切な性的関係という形であるなら、謙作夫婦の身内で直子と性的関係を持つ可能性があるのは誰だろうか。第一の陥穽に似せるとすれば、義父のはずである。しかし、直子の義父に当たる謙作の父は謙作とは実の異母兄弟であり、関係が複雑すぎる。また、父は人格者として描かれているので、その可能性は閉じられている。一方、直子の側では母親の兄(直子の伯父)であるN老人が候補となろう。しかし、父親を早くに亡くした直子の親代わりとなり、謙作との結婚にも尽力してくれたN老人をそういう役割に当てることはできない。義父的関係以外で考えられるのは兄の信之であるが、彼もまたその役割にはふさわしくない。
そこでN老人の息子である要(直子のいとこ)が登場するのだ。つまり要は義父的な要素を持たされているのである。母と義父との性的関係によって生まれた謙作は、妻が要という「義父」と性的関係を持ったことによって、「さういふ事が二重になる」のを経験してしまうのである。
『暗夜行路』の構想は、自分が父の子ではなく祖父の子であったらいいのに、という志賀の思いつきがきっかけであったらしい。しかし、もしそれが事実となるならば、母が祖父と性的関係を持つことになる。そこから、そういう関係を宿命として負わされた男の物語が着想されたようだ。作者によってそういう因果を想定された謙作は、そのことに呪われ続けることになる。そういう物語のプロットが、緻密とまではいかなくとも、首尾一貫して保持されているのが『暗夜航路』なのである。
7
すでに述べたように、志賀の作品には「気分」というものが重要な要因となっているものが多い。「気分」とか気持ち・感情といったことを、より広い意味にとって言い換えるならば、心理や精神であろうか。「心的」という言葉では意志とか理性も含まれてしまうであろうから、ここでは気分・気持ち・感情といったものを現す言葉として「心情」を使おう。『暗夜行路』では、心情的な動揺を意志なり理性で解消しようという、謙作の心の中の葛藤が扱われているとみなせよう。
だが、心にはもう一つの要素が潜んでいる。それは欲求、欲望、衝動といった要素である。これらを「心」と「体」という文脈で並べてみれば、「体」に近い方から、欲求、欲望、衝動というグループ、心情のグループ、意志や理性のグループということになろう。第一のグループと第三のグループの関係については注目されやすいが、心情はこの二つのグループのどちらとも関係があるのではないか。謙作における「気分」についての作者の関心は、心情と意志・理性の関係だったが、心情と欲求・欲望・衝動との関係についても考えてみよう(以下、後者を欲望で代表する)。
通常は心情と欲望は相携えて現れる。気に入ったものにしか欲望しないのは当然のことのように思える。そもそも心情と欲望が対立することなどあるだろうか。
ポルノのストーリーの基本的なパターンの一つは、レイプにあった女性が、最初は嫌がって抵抗するのだが、次第に性的快感に負けて、レイプ者に性的行為を懇願するようになる、というものである。男性としての作者や読者は、美しくて高慢な女性が、見下していた醜く卑しいレイプ者をあがめるようになる、という地位の逆転に喜びを感じるのであろう。穿った見方をすれば、作者や読者の劣等的視点がそれを妄想させるのかもしれない。ただし、女性がレイプ者の言いなりになるのが暴力の結果でしかないのでは、支配の喜びは十分に満たされない。女性が自ら屈服するということが肝心なのだ。
しかし、現実にはそんなことは起こらない。女性は最後までレイプ者を嫌い、憎む。つまり、性的行為は心情的な要素が大きくて、性的快感を左右するのである。下賤な言い方をすれば、その気にならなければいかないのだ。
しかし、性的快感というものがあることは事実である。それが心情を変化させてしまうことはないのだろうか。
それが男性の不安なのだ。ポルノでいえば、女性が心情的な価値観を変えるのは、嫌悪や恐怖をも超越してしまう、レイプ者の性行為の巧みさによる。もし女性に配偶者なり恋人がいるのなら、彼らはその面で負けたことになる。その不安を裏返しにして、女性の心情を激変させるような状況を設定し、自らを(性的超能力者としての)レイプ者に同化させるのがポルノなのだ。
レイプという極端な事例は別としても、誘惑者はどこにでもいる。心情的な抵抗感を何らかの形で迂回して性的な結びつきに至ったならば、性的快感が作用することになるかもしれない。そして、誘惑者の性的魅力に取りつかれた者の心情は変わってしまうかもしれない。心情は強力であるけれども、うつろいやすい。心情が性的関係に導くというメインルートだけではなく、逆のルートもありうるだろう。
身内での非正規的な性的関係は継続しやすく、習慣化することで女性の側の嫌悪や恐怖が薄れていく可能性がある。つまり、心情的に中立になってしまう。その結果、性行為に性的快感が生じる土壌が形成される。そして、性的快感が心情に影響を与えて、好意の方へ押しやる。ひとたびそのような作用が起これば、両者が互いに(循環的に)影響し合い、性愛にまで成長するかもしれない。
だから、謙作は自分の心情を気にするより、妻のそれについて悩まなければならなかったはずなのだ。読者は謙作の主張に引きずられて、謙作の独り舞台のように思い込んでいるが、実は、謙作が悩んでしかるべきは、妻を信じられないということではないだろうか。そのような描写もあるが、それは男の言いなりになってしまう弱さへの懸念なのだ。作者は謙作の妻をあくまで男の対象という受動的な存在としていて、彼女の性的快感については無視している。女性に性欲があることを認めず、女性とっての性行為は男性の快楽に奉仕するだけのものとみなしている。夫を積極的に裏切るというような能動性を認めていないのである。
謙作の母とその義父との関係についても、同様なことがいえる。さらに、その関係は、直子の場合と違って、一過性ではなかった。謙作の母の心情が性的快感に引きずられて変化する可能性はなかったのだろうか。似たような状況を描いた作品があるので見てみよう。島崎藤村の『新生』である。この作品の主人公である岸本と姪の節子の性的関係において、心情は作用したのだろうか。
8
『新生』について何ごとかを語ろうとすれば、平野謙の『新生』論を無視することは出来ない。私は平野のファンであり、彼の評論を読んでからそこに取り上げられた作品を読むことも多い。『新生』もそうだった。ただし、『新生』を読んでみると、平野の『新生』論によって抱いていたのとは少し違った印象を受けた。
『新生』には自伝的、私小説的、告白的というような形容が思いつくが、それでは現わしきれない内容の作品である。物語の展開をごく簡単に述べてみよう。妻を亡くした岸本捨吉は、家事を手伝ってもらうために同居していた姪の節子と性的関係を持ってしまう。節子が妊娠すると岸本は動転し、兄に後をまかせてフランスへ逃げてしまう。しかも、兄へ告白することがなかなかできず、フランスへ向けての航海中の船からの手紙でようやく果たす。兄の手配で節子は出産し、生まれた子供はすぐに養子に出される。フランスから戻った岸本は、節子とよりを戻してしまい、一時は一緒に生活することを考える。ところが、どういう意図からか、岸本は節子との関係を連載小説として公開する。当然なことに兄の不興を買い、節子と別れることになる。
『新生』が奇怪な作品であることは誰も否定しまい。第一に、作者の藤村の経験の報告であるかのような内容であること。第二に、藤村(作品中では岸本捨吉)と姪(次兄の娘・作品中では節子)との性的関係がテーマとなっていること。第三に、この作品の前半部が発表されることが、後半部で取り上げられていること。特に三番目が注目される。この作品は、描かれる体験がひとまず終了した後でそれを振り返るのではなく、また、日記のように体験とほぼ同時並行に記録(記述)されているのでもなく、体験と記述(発表)が間隔を空けていながらその一部が重なっているという点で特異なのである。その結果、作品の前半部(姪との性的関係)の発表の現実的影響が後半部に記述されることになっている。そのことが、藤村がこの作品を現実に影響をもたらす(具体的には姪一家との関係を断つ)道具として使ったのではないかという疑惑を生んでいる。作品を道具として使ったこと自体はさほど奇怪ではない(あり得ることだ)。奇怪なのは、それを示唆するような経過を作品の後半に収めていることである。
姪との性的関係を断ち切るために、あるいは、そのことで生じた次兄とのしがらみから逃れるために、『新生』が書かれなければならなかったとしても、書いたことの現実的結果までその記述に含める必要はないはずである。つまり、体験を物語化するためには、体験を一応完結させて、叙述の次元とは切り離す(具体的には、体験の時間と叙述の時間の間に仕切りを作る)のが通常であろう。体験がひとかたまりとして続くのであれば、残りの部分は後日譚として語られるべきである。藤村自身、後年「定本版藤村文庫」が編まれたとき、前編だけを『寝覚』と改題して収録している。後編は再構成の必要があると考えていたのであろう。
では、藤村はなぜ『新生』をそんな作品にしたのか。『新生』前編は、節子の妊娠という事態に動転した岸本が、後事を兄に託してフランスへ逃避したことが描かれている。それによって節子との関係が一応終結したのならば、懺悔としての物語になったかもしれない。ところが、フランスからの帰国後、藤村と姪の関係が復活してしまったのである。姪との関係を描こうと藤村が思ったのは、そのときの経験を記したかったからではないか(理由は後述する)。ところで、物語としての完結が姪との完全な別れでなければならないという思いが作家としての藤村にはあっただろう。一方で、姪との関係を断とうという実際的な判断も生じてきた。そして、姪との関係断絶のためには告白としての『新生』の発表が使えることに気がついた。『新生』を完結させるためには姪との関係を終結させねばならず、姪との関係を終結させるためには『新生』の発表が必要であった。このジレンマから逃れるためには、事態の収束を待たずに物語を発表し出すしかなかった。同時並行的というのではないが、状況を後追いしつつ重なりながら物語が記され発表されるという複雑な過程となったのである。作家としての執心と、生活者としての狡猾さがないまぜになったのが『新生』という作品だったのだ。
そのことを暴露したのが平野である。
9
平野は『新生』が書かれた「現実的作因」として、「恋愛からの自由と金銭からの自由」をあげている。「『新生』には芸術家固有の作因というものがあるだろうか。本質的にそれが缺如しているのではないか。そこにあるものはただ現実の擬装だけではないか」と平野は問う(結論的には平野は『新生』の芸術性も認めているが)。
『新生』全編を仔細に読めば、かかる藤村の制作態度に規制されて、当然描くべき性格や場面の掘りさげを作者が見て見ぬふりしてはぶいたり、ぼかしたり、ひずめたりした例証はいたるところに見られる。まず第一に、それは岸本捨吉の驚くべき鈍感性としてあらわれている。一般的な意味における男性固有のエゴイズムや芸術家独特の迂闊などを越えた、奇怪至極な鈍感性となって結果している。そして、そのような人間的鈍感性は対蹠的に節子の朦朧たる傀儡性を伴わずにはおかない。捨吉の一方的な鈍感性に圧服されたままで、いささかのあらがいも許されぬような傀儡性をそこにもたらさずにはいないのである。
平野の言う「恋愛からの自由と金銭からの自由」とは、節子と別れることと、節子の父である次兄の金銭的要求から逃れることである。基本的には平野のこのような見解に異存はない。しかし、前編と後編には叙述の形態に違いが見られ、後編こそが藤村が描きたかったことではないかと思えるのである。極端に言えば、前編は後編への導入部とみなしてもいいのかもしれない。
前編と後編の違いは、節子の心情に対する岸本の理解の違いによる。二人の最初の関係は、保護者であるべき年上の男による誘惑によるものであり、女はただ受け身であって、男が全面的に責任を取らねばならないものである、と岸本には思えた。であるからこそ、節子の心情は描写の対象になどなろうはずはなかった。ところが、帰国後に節子との関係を復活させてしまってから、うかつにも岸本は初めて節子の心情に気がついたのである。しかし、平野は言う。
作者は(中略)『同族の関係なぞは最早この世の符牒であるかのように見えてきた。残るものは唯、人と人との真実がある許りのように成ってきた』と書いているが、すべて作者の思いちがいか誇張にすぎない。女は誰でも最初の男には特別な感情を持ち続けるものだし、したがって、捨吉があれほど苦しんだ叔父、姪の関係なぞも、節子ははじめから苦もなく飛びこえていたまでのことである。
はたして節子は最初からそうだったのだろうか。やもめの叔父と独身の姪が同じ屋根の下で暮らしていれば、男の方が若い女性の肉体に惹かれるのはありうることである。男を抑制するのは道徳観や他人の目である。しかし、道徳観は自己の中で適当に処理できる。関係を秘密にできれば、他人のことは気にすることはない。一方、女にとっては性的関係は思いもよらないことであり、その意味をどう受け入れていいのか分からない。女が当惑して凍りついてしまい、逃げ出したり他人に助けを求めたりすることができなければ、関係は継続される。節子の当初の反応はそうであったろう。藤村の認識もまたそこで留まっていた。
では、節子の変化はいつ、どのようにして起こったのか。資料が『新生』という作品しかないのだから、藤村の報告ないし記録に頼らざるを得ないが、その点は信用していいだろう。藤村が全てを記しているのではないことはもちろんで、そこには選択が働いている(書かれていないことがある)。しかし、虚偽や改変は、藤村の意識としてはないだろう。ただし、藤村の描写は抑制的で、節子の心の動きを仮想して描くことはない。それゆえ、藤村が記した節子の言葉や手紙によって、私たちが節子の思いを推察せざるをえないのだが。
節子が彼女の心情を最初に明らかにしたのは、渡仏の乗船のために神戸まで来た岸本への手紙によってだった。
なおよくその手紙を繰り返して見た。節子は岸本のほうからわびてやったいっさいの心持を――彼女を気の毒がるいっさいの心持ちを打ち消してよこした。きょうまでを考えると、どうして自分はこんなことになって来たか、それを思うと自分ながら驚かれると書いてよこした。やはり自分は誘惑に勝てなかったのだと思うと書いてよこした。しかしこの世の中には、人情の外の人情というようなものがある、それを自分は思い知るようになって来たと書いてよこした。(第一部四十四)
節子の文章も露骨な表現は避けて回りくどい言い方をしているので(あるいは、藤村による再表現であるので)、解釈が必要となる。「誘惑」というのは性的快感であろう。性的快感に導かれて、節子は岸本を愛するようになった。肉体的な結びつきが心情的な愛着をもたらしたのだ。性的快感と心情的な愛着が一体となった。それを節子は「人情の外の人情」と言ったのであろう。
しかし、岸本は節子の愛情が信じられなかった。節子が「あれほど自分が送った手紙も叔父さんの心を動かすには足りなかったのか」(同百九)と手紙で訴えてきても、藤村はその真意を疑っていた。
岸本に言わせると、若い時代の娘の心をもって生まれて来た節子のような女が、非常に年齢(とし)の違った、しかも鬢髪のすでに半ば白い自分のようなものにむかって、彼女の小さな胸をひろげてみせるということがありうるであろうかと。(同八十七)
では、節子の訴えかけを岸本はどう受け取っていたのだろうか。一つには、性的快感の経験へのこだわりと考えていたのだろう。「あの目もくらむような生きながらの地獄のほうへ。あの不幸な姪と一緒に堕ちて行った畜生の道のほうへ」(同百一)とか、「分別ざかりの叔父の身で自分の姪を無垢な乙女の知らない世界へ連れて行った」(同百十一)というような言葉遣いにそれが読み取れよう。
もう一つは、岸本の責任を問い、何らかの関係の継続を求める脅迫と思えたのではないか。岸本にしてみれば、節子との関係を断つための渡仏であった。しかし、節子は岸本のその意に反するように手紙を送ってくる。岸本が返事を出さないでいても、送り続けてくる。しかも、その内容は岸本との過去にこだわる内容であった。「しかし、もういいかげんに忘れてくれたかと思う時分には、また彼女から手紙が来て、そのたびに岸本は懊悩を増していった」(同八十七)。岸本は節子の態度に不安を感じた。「遠く離れて節子のことを考えるたびに、彼は罪の深いあわれさを感ずるばかりでなかった。同時に言いあらわし難い恐れをすら感ずるようになった」(同八十七)。「同時に、その年齢(とし)までまだ身もかため得ずにぶらぶらしているらしい彼女の事が、何となく無言な力をもって岸本の胸に迫って来た」(第二部二)。つまり、岸本は一生節子につきまとわれるのではないかと「恐れ」たのである。
さらに、岸本が節子の愛情を信じられなかったのは、女性一般に対する不信があったから、と岸本=藤村はほのめかしている。
もし彼がもっと世にいう愛を信ずることができたなら、子供を控えての独身というような不自由な思いもしなかったであろう。親戚や友人の助言にも素直に耳を傾けて、後妻を迎える気にもなったであろう。信のない心――それが彼の堕ちて行った深い深い淵であった。失望に失望を重ねた結果であった。そこから孤独も生まれた。退屈も生まれた。女というものの考え方なぞも実にそこからくずれて来た。
旅に出て、彼は姪からかずかずの手紙を受け取った。いかに節子が彼女の小さな胸を展(ひろ)げて見せるような言葉を書いてよこそうとも、彼にはそれを信ずる心は持てなかった。(同百二十七)
では、藤村は何を求めていたのだろうか。藤村は何に失望したのか。『新生』の記述は切れ切れであるけれど何とか推察ができる。藤村は勝子との恋を成就できなかった。園子との結婚生活は期待したのとは違っていた。ペール・ラセーズの墓地にあるアベラールとエロイーズの墓を見て、「終生変わることのない愛情」を思い、憧れた。つまり、藤村にとっての男女の愛情とは、青春の日から変わらぬもの、肉体的要素とはうまく融合し得ていない精神的要素の強いものであったのだろう。それは日常生活には耐えられないものである。
女性が愛において堅固ではないこと、そして表面からはうかがい知れぬ何かを隠しているのではないかという疑念、それが藤村に不信を植え付けたのだろうか。しかし、それは男性の側からの一方的な要求ではないのか。
考えられるのは、恋愛における女性の主体性とは、精神的要素が主であり、肉体的(性的)要素は関わってはこないと藤村が考えていたのではないか、ということである。男には性的欲求があり、女によってそれを満たすことを求めるが、女はそれを受け入れるだけで、そのことに執着してはならない。つまり、恋愛は精神的なものであり、それに付随する肉体的要素は男の側のやむ終えざる事情でしかないということになる。女が男に求めるのは精神的なものだけであるべきだ。だからこそ、精神的に優れている者(藤村も含まれる)が女から選ばれるべきなのである。女がそれ以外の要因で男を選ぶのであれば、それは愛ではない。
だからこそ、節子が求めているのは愛ではないということになる。節子は岸本の恋愛の対象とはならない。それは彼女の精神が貧しいからだ。
藤村=岸本は性的快感を愛に統一できていなかったのだ。
10
「『新生』下巻には、この作者本来の芸術的稟質が比較的素直に流露している」と平野は指摘している。ただし、平野は「節子に対する捨吉の愛情の本質」を「愛情というより、むしろ性愛とよぶのがふさわしいもの」と断じている。確かに岸本と節子の関係は性愛を中核としている。しかし、今の私たちはそれを愛と呼ぶのを躊躇しないだろう。
岸本は、節子の愛が性的快感と心情的な愛着の合体したものであることに気がついたのである。そして、男女の愛の本質がそういうものであることに、節子との性的関係の中で見出したのだ。
経過を見てみよう。岸本が帰国を決意したときには、再婚を考えていた。もちろん、節子とではない。岸本は「彼自身はすでに四十五歳にもなる」にもかかわらず、「四十に手の届く婦人と今さら結婚する気」にはならず、「すくなくとも三十前後の婦人」を望んでいた(第二部十五)。このことは、岸本が結婚に何を求めていたかを示している。単に主婦として家庭を運営するだけではなく、性的欲求の対象でなければならなかったのである。岸本は理想の愛は諦めて、主婦的役割と性欲処理という機能のみを求めるという現実的な方針を立てた。節子には主婦的機能が望めぬゆえに、結婚の対象とはなり得ないのだ。
「岸本は節子と自分の関係を叔父姪の普通の位置に引き戻そうとした」(同二十二)。「彼は自分でも再婚するつもりであり、節子の縁談でも起こった場合には陰ながら尽くすつもりでいる」(同二十八)ことを兄(節子の父)に伝えた。
節子はふさぎこんでしまった。岸本にはその理由が分からない。あげくの果てには、「どうしても原因のわからない彼女の深い憂鬱を『節ちゃんの低気圧』というふうに言ってみた」(同)りするのである。何という鈍感さであろうか。節子は岸本とは離れたくないのである。それは彼を愛しているからだ。それなのに、岸本は節子とその家族から距離を置くことばかりを考えているのだ。
「旅にある日、節子を両親に託してから、岸本の心では、どうやら彼女を破滅から救い得たものと考えていた」(同三十一)。しかし、再会した節子は悄然としている。岸本は当てが外れ、節子との関係を清算して再婚するという目論見が危うくなった。
しかし、岸本は節子を突き放すほどの度胸もなかった。節子をそのようにしてしまったのは彼の責任であるし、彼女を哀れむ気持ちもあった。その気持ちが岸本を揺らす。「口にも言えないような姪の様子はその時不思議な力で岸本を引きつけた。彼はほとんど衝動的に節子のそばへ寄って、物も言わずに小さな接吻を与えてしまった」(同三十一)。「不思議な力」「衝動的」という言葉は性的な要素を意味しているようだ。性的な関係を持ったという過去は、岸本の自制を弱めてしまう。
そして、「両人(ふたり)の間の縒りが戻ってしまった」(同三十七)。しかし、岸本の気持ちは以前とは違っていた。単に節子の体だけを求めたのではなく、心情的な要素が加わっていたのである。それは、節子を哀れむ気持ちだけではなく、節子の精神的変化(成長)に岸本が気づいたからでもあった。岸本は無神経にもこう言うのである。「節っちゃんは苦労して、以前(まえ)から比べるとずっと良くなった。なんだかおれはお前が好きになって来た――前にはそう好きでもなかったが」(同四十)。
だが、「その時になってもまだ彼は再婚の望みを捨てなかった。自分も適当な人と共に家庭をつくり、節子にもまた新しい家庭の人となることを勧めようというその旅から持って帰って来た考えは彼を支配していた」(同四十)。
これはどういうことだろう。岸本の身勝手さであるには違いない。だが、岸本がこのような矛盾した態度をとるには理由があるはずだ。岸本が再婚に期待したのは、既述のように、性と生活の二つのニーズを満たすためだった。それらは別々のものであり、融合してはいなかった。それらが融合することは、理想においては必然であったが、現実には男女の仲を危うくしてしまう。理想を諦め、二つを分離させることが、結婚の維持のための現実的方策であった。
しかし、岸本が節子との関係に見出したのは、性的快感と情愛という、感覚(身体)と心情(精神)の融合であったのである。それは、岸本にとっては、理想とする愛の貧弱な模写であったかもしれないが、愛の本質を垣間見せてくれたものであった。岸本の当初の見込みにはないものが現れてきた。ただし、その愛の幻影が成立したのは、生活の現実的基盤を欠いていたからである。岸本が生活を立て直そうとするならば、節子との関係は確かな手がかりとはなり得なかった。
このような岸本の矛盾した態度は節子を不快にさせないはずはない。岸本がもう一度接吻でなだめようとしたとき、節子は「すこし顔色を変えながらかよわい女の力で岸本の胸のあたりを突きのけた」(同四十二)。
しかし、節子の「低気圧」も長続きしない。節子は岸本を愛していた。岸本も節子との新たな関係にのめり込むようになる。そして、「節ちゃん、お前は叔父さんに一生を託する気はないかい――結婚こそできないにしても」と言ってしまうのである。もちろん節子は同意し、「今度こそ置いてきぼりにしちゃいやですよ」と念を押す。岸本は「なんだかおれはいい年齢(とし)をして、中学生のするようなことでもしているような気がしてしかたがない」(以上同四十三)と洩らすのである。それは、岸本が諦めた青春のころの憧れの愛が、いびつな形ででも実現したことの驚きの声なのだ。
岸本は「彼と節子との間には二度結びついてしまうほどの根深いある物が横たわっていた」(同四十九)と思うようになり、節子との性的関係が単に肉体的な欲望だけによるものではないことに気づき始めていた。「かつて憎みをもって女性に対した時のような、畏怖も戦慄ももはや同じ姪から起こって来なかった」(同五十)。
そういう思いとは一見裏腹なようだが、岸本は同居していた兄家族と別居し、節子とも離れて暮らすことにする。
なぜというに、不思議な運命を共にしようとする二人にあっては、互いに抑制することを学ばねばならなかったから。弱い人間である以上、もう一度岸本が遠い旅にでも出なければならないようなことが決して起こって来ないとは限らなかったから。(同五十三)
つまり、節子の妊娠を恐れたのである。ところが、節子と別れて暮らすことは、彼女への思いをつのらせることになり、岸本は「今まで節子にひろげて見せたことのない自身の心胸を打ち明けた」(同五十三)手紙を送る。
節子は「わたくしどもの創作は、最初こそあんなでございましたけれども、間もなくわたしは長い間自分の求めていたものであることを見いだしました。けれども、そのころ叔父さんは、ちっとも御自分のお心を開放してはくださいませんでした」(同五十四)という返事をよこす。そのやり取りにより岸本は「長い間の罪過の苦痛から脱却して行かれるばかりでなく、あれほど身を羞じた一生の失敗をも、われとわが身を殺そうとまでした不徳をも、どうやらそれを全く別の意味のものに変えることが出来るような、その人生の不思議に行って衝(つ)き当たった」(同五十五)のである。「まだ自分は愛することができる。そう考えた時は、彼はある深い喜びと驚きに打たれた」(同五十五)。
岸本は節子との性的関係が、単に両者の肉体的欲望によって維持されているのではなく、両者ともに性的快感が心情的な愛着に裏付けされた、真の恋愛の経験であることを認識したのである。岸本は節子に愛されていることを知ることによって、自分も節子を愛することができたのだ。岸本の意識において、節子は彼の性欲の犠牲者という受動的存在ではなくなったのである。
11
『新生』における節子は被害者であり、結局は岸本にもてあそばれたというのが、平野の解釈である。「捨吉は節子の肉体を隅々まで知りつくし」(平野)、堪能しきって手を切った。だが、それにしては別れの決断は唐突であり、岸本が未練がましいのは節子への執着を断ち切れていないからのように思える。
岸本と節子が、性的快感という身体的な面だけではなく、心情的な面でも愛によって結びついていたことは、『新生』に読み取れる。だのに、なぜ二人は別れることになったのか。二人が別れるのは岸本の方からの働きかけ(というより詐術)であったのは確かだけれども、なぜ彼はそうしたのか。そうせざるを得なかったのか。
私の考えは、平野とは反対に、岸本が節子の肉体を堪能できなかったのが原因だというものだ。では、岸本が節子と別れるようになった経過を『新生』に探ってみよう。
岸本の帰国後の計画では、節子との関係を清算し、再婚することであった。再婚は家庭の形成と性生活のために必要であった。節子は岸本の公式の妻とはなれなかったから、家庭を作るという目的には適さないのである。しかし、節子に愛を感じるようになって、岸本は再婚を断念する。それは家庭を断念することなのだ。
岸本はもう甘んじて節子を負おうとする人であった。彼はなんらの家庭的な幸福を節子と共に享けうるではなし、そのために自分の子供を仕合わせにするなんらの希望をもつなぐことはできなかったけれども、ただ彼女を助け、彼女を保護することを何よりの楽しみとして、二人の間の新しい心に生きようとした。(第二部五十五)
節子を「助け」、「保護する」という言葉は再三出てくるが、具体的に何を指すのかはあいまいである。それは一種の弁解に過ぎず、要は節子を愛人として遇することに他ならないのではないか。岸本は「夜もろくに眠れない」(同五十九)ようになり、「これは荒びたパッションだ。静かな愛の光を浴びたものとは違う」(同六十)とまで思うようになる。
岸本は次のような心境に達していた。
彼は節子と自分の間に見つけた新しい心が、その真実が、長いこと自分の考え苦しんできた旧い道徳とは相いれないものであることを知って来た。人生は大きい。この世に成就しがたいもので、しかも真実なものがいくらもある。(同六十五)
その心は節子も同様であったろう。ただし、そのことの受け止めには二人の間に違いもあった。節子は「オゝたたけよ、さらば啓(ひら)かれん――わたしどもはきっと最後の勝利者でございますわね」(同六十五)と手紙に書いてよこすのだが、岸本は「周囲のものに対する彼女の小さな反抗心を捨てさせたいと願った」(同六十六)のである。岸本が節子との間に望むのは「世の幸福も捨てはてた貧しいものにのみ心の富を持ち来たそうとして訪れて来るような春であった」(同六十六)。つまり、節子は世俗に反抗してまでも愛を貫きたいと望むのに対し、岸本は他人には知られることのない密かな愛の継続を望んだのだ。
岸本の心は揺れ動き続ける。「激しいパッションがやや沈まったあとでは、それと反対な冷ややかな心持ちが来て彼の胸の中で戦った」(同六十七)。「愛の舞台に登ってばからしい役割を演ずるのはいつも男だ、男は常に与える、世には与えらるることばかりを知って、全く与えることを知らないような女すらある」と「腹立たしく」(同六十七)思う。ここでの「与える」とは、性交を積極的に望むのは男の方であるということとともに、性交との引き換えに女の「きげんを取る」とか金銭を含めた援助をするということも意味されている。岸本は節子の動機を疑っているのである。節子は本当に岸本との愛を望んでいるのか。ただ性的快感を得ることに受動的に満足しているだけではないのか。あるいは、岸本の援助を引き出すための手段として性的関係を使っているのではないか。だから、岸本ほど積極的ではないのではないか。岸本は「もっと節子のほうから動いて来ることを望んでいた」(同六十七)。
むろん節子は岸本を一途に愛していたが、そのことを岸本に十分に伝えきれていなかった。別居した岸本を節子が訪ねるという形の中で、二人の交流は深まり、岸本はようやく納得するのである。「三年も節子が待ち受けていたのは、良い縁談でもなく、出世の道でもなく、旅から帰って来る岸本であったということが、もはや疑問として残しておく余地もなくなって来た」(同七十八)。
結果的には奇怪な形とはなってしまったが、岸本が節子との愛の経験を文学的に表現したかったのは、それが真正の愛に限りなく近いもの、肉体的な愛と精神的な愛が合一した愛、実際に経験しうる限りで最良の愛であったからであろう。お互いに愛し合い、そのことを信じ合える関係、それは藤村にとって生涯に一度の経験であった。
そこまでの関係になりながら、なぜ二人は別れることになってしまったのだろうか。それはやはり再度の妊娠の脅威があったからと考えざるを得ない。愛人というだけならともかく、三親等内の関係というタブーが出産を困難にしていた。そのため、性交の機会を限らざるを得なかった。岸本はそのことを十分承知していたのだけれど、それでも満たされぬ思いはどうにもならない。それは将来も変わらないだろう。愛人という関係さえも成立しがたいことを悟らざるを得なかった。
12
そこで、岸本はフランスからの帰国時の計画を再び実行することにしたのである。性欲の処理と家庭の維持のための結婚。そこに理想の愛はなくとも、制限されることのない性交がある。そのためには節子との離別が必要である。
まず、岸本は彼と子供二人だけの三人に家庭を縮小し、下宿暮らしを始める。次兄(節子の父)家族との日常的なつながりを薄めるためである。節子の訪問回数も減らそうとする。
節子を引き取って一緒に暮らすのであればともかく、節子との中途半端な関係を続けるのであれば、節子の背後にいる次兄との繋がりを切れない。藤村はあからさまには描いていないが、次兄は岸本に金銭的要求を続けていた。「節子を通してちょいちょい聞こえてくる義男兄のいや味を避けようとすることから言っても、彼はしばらく節子から離れていようと考えるようになった」(同八十七)。
むろん岸本は節子に未練があり、簡単には思い切れない。そこで状況全体を解消してしまうリセットボタンを押す気になる。
もはや岸本は今までのように窮屈な、遠慮がちな、気がねに気がねをして人をはばかりつづけて来たような囚われの身から離れて、もっと広い自由な世界へ行かずにはいられないようなところまで動いた。(同九十二)
つまり、『新生』を書く決心をする。そこに『新生』の奇怪さがある。節子との関係が決着してから書かれたならば、『新生』は愛の物語になり得ただろう。愛を扼殺するために書かれた愛の書、それが『新生』だったのだ。
突然、岸本は「ようやくその時になって初めて彼は荒びたパッションから離れ行くことができた」(同百)、「ようやく岸本は自分の情熱の支配者であることができた」(同百一)と言いだす。岸本は何の説明もしないので、読者にはなぜだか分からない。岸本が黙っていたのは、自由に性交ができないという欲求不満が心情的な愛着をも冷めさせたという事情であろう。さらに、節子を裏切ろうとすることによってそれが加速されたのだ。
節子への「情熱」をコントロールできるようになったのであれば、節子ときちんと別れる努力をすればいいのであって、二人の関係を公表する必要はないはずだ。岸本が恐れたのは、別れを切り出した時の節子の反発であった。それこそ新聞沙汰にでもなれば作家生命は危うくなる。節子には他者からの介入によって(一時的に)別れざるを得ないと思い込ませる必要があった。
ところで、『新生』が愛の物語になるためには、二人の愛が成就するか、あるいは二人の仲が第三者によって引き裂かれるのが望ましい。二人が円満に分かれるか、二人のうちの一方(あるいは両方)が見切りをつけるのでも悲恋物語にはなるだろうが、節子を捨てるという役割をかぶるほどの勇気は岸本にはなかった。
岸本が節子との別離によって愛の物語を完成させるためには、他者の介入が必要だった。そういう他者になれるのは次兄だけであった。岸本と節子の関係を事実として明確に知っているのは次兄だけであったから(岸本は次兄が自分一人の秘密にして親族にも黙っていることに不満を持っていた)。ところが、次兄は帰国した岸本と節子が接触するのを妨げることはなかった。うがった見方をすれば、次兄は節子と岸本の関係によって岸本から経済的支援を受けることができたので、その関係を壊そうとはしなかった。
『新生』は次兄にその関係の断絶を促す(というか強制する)ものだったのである。岸本の周りの人間は、岸本が節子との関係継続を望んでいると思っていた。『新生』はその関係を世間に認めさせるためのものだと受け取ったのである。しかし、次兄にしてみれば対世間的に容認できることではなかった。やむなく義絶を通告し、節子との接触を禁じた。それは岸本の思う壺であった。
『新生』の解説には、岸本と節子の関係は縁者によって絶たれたとしているものがある。それこそ岸本の目的であったのである。
台湾にいた長兄民助が節子を引き取りにきたときの岸本との対話にもこの齟齬が現れている。
「そこでだ――おれは今度、節ちゃんを台湾へ連れていくつもりだ――どうだ、そっちの意見は。」
この兄の言葉こそ岸本の待ち受けていたものであった。
「あ、そうですか、連れていってくださいますか。ぜひそれはわたしからもお願いしたいと思っていたんです。」と岸本は力を入れて答えた。
民助は目をまるくして弟の方を見た。遠い所へ節子を連れて行ってしまおうという自分の発議にどうして弟がいやな顔もしないのか、とそれを意外に思うらしかった。(同百三十四)
むろん、岸本は節子にこのような意図を告げることはない。岸本は節子に二人のことを作品として公表する承諾を事前に得ている。「わたしをおよめに来てくれなんてうるさいことを言う人もなくなって、かえっていいかもしれません」と節子が応じるのに対し、岸本はあわてて「お前のようにすぐそういうふうに持って行ってしまうからいけない――おれはそう目のまえのことばかりも考えていない」(同百二)とはぐらかす。節子は岸本の企てを、世間に対して二人の関係を宣言し、世間に抗してでも二人で生きていくと受け取ったのだ。一方、岸本は二人の関係を清算し、節子には自分の道をいってもらい、そのための援助は惜しまないというつもりなのだが、そのことを明確に節子には伝えようとしない。「こんな日陰者のような調子で、これがやり切れるものかね。もっと生きて出ることを考えようじゃないか――」(同百三)といったよう曖昧な言い方で誤魔化そうとする。
節子が父親(次兄)に逆らうことについては藤村は心配していなかった。次兄が節子を台湾の長兄のもとへやることを知ったときの岸本の反応は次のように冷酷なものである。
兄弟の縁を絶ってまでも節子に岸本のことを思い切らせようとした義雄兄が、反対に節子の告白を聞いて、黙ってそのままにして置く気づかいもなかった。(同百二十五)
次兄が変に理解を示して、節子と岸本の関係を容認するようだと、岸本は困ってしまうのである。次兄が岸本と節子を引き離そうとするのは、岸本の狙い通りだった。こんな文章を平気で書き残しておく藤村の心理は不可解である。節子が台湾にやられることを知ってから、長兄が台湾から来る日を今か今かと待ち望む岸本の気持ちも露骨に描かれている。これでは引き離された恋人たちという物語にはならない。岸本の策略が丸見えになってしまう。
それでも藤村は事実の経過を彼なりに忠実に描いた。「藤村はすくなくともその外面にあらわれた事実はいささかも曲げようとしなかった」(平野)。節子も岸本との別れを受け入れたという脚色のもとに。肉体的なつながりは断っても、精神的なつながりは永遠だという虚言のもとに。
『新生』はそれで終わった。しかし、節子の物語はそれでは終わらなかった。一九一八年、台北の叔父のもとへ追いやられた島崎こま子(=節子)は、一年ほどして日本に戻ってくるが、藤村(=岸本)と会うことはない。三年ほどして、こま子が手紙を出したことをきっかけに、二人は会うようになるが、藤村の態度は冷たい。
藤村とこま子が最終的に決別したのは一九二二年である。詩人・小説家として高名な叔父との禁断の恋が、中年男の欲望処理の相手でしかなかったことに気づかされて、こま子は失望した。こま子は藤村の世俗的な狡猾さにあきれて、藤村を見限った。藤村との性愛は、こま子にとっては心情から破綻したのである。
藤村は『処女地』という女性文芸雑誌を主宰し(一九二二年)、一九二四年に編集同人の加藤静子に求婚、一九二八年に結婚することになる。正式の妻なのだから出産してもかまわなかったのだが、結果的に子はできなかった。
こま子にとっては、藤村との愛の経験はその後の人生を方向づけるものとなったようだ。藤村と別れたこま子は京都へ行き(一九二五年)、京大生たちの社会主義運動に関わるようになる。一九三七年、こま子は貧窮して病気になり、東京市立板橋養育園という救貧院的な施設に入院した。そのことが新聞に報じられて世に知られたため、「悲劇」の主人公としてのこま子というイメージが定着することになった(こま子自身が「悲劇の自伝」という文章を『婦人公論』に載せている)。こま子は、板橋養育園を退院後、姉の助力により故郷の妻籠に落ち着いた。一九五七年、東京に移転、長谷川博(社会主義運動で知り合い結婚、後に離婚)との間にできた娘の紅子と一緒に暮らす。一九七九年、八十六歳で死去。藤村は既に一九四三年、七十一歳で死去している。
私が平野謙の『新生』論を読んだときには、節子は貧窮のまま歴史の闇の中に消えてしまったと思っていたのだが、後半生は穏やかな日々を過ごしたようである。
13
身内であるにせよないにせよ、秘せられた性的関係が露わになるのは、女性の妊娠・出産によってである。『暗夜行路』ではそれは謙作の出生の秘密として設定されていた。直子の妊娠に際して、謙作は月数を数えて自分の子であるかどうかを確かめずにいられない。『新生』は節子の妊娠がなければ成立していなかっただろう。避妊方法が発達すれば、そのような悲劇的関係は文学的興味の対象から外れてしまうのかもしれない。
ところで、身内の(ないし身内のような身近な)異性に性的関係を求めるのは、中高年の男性(既婚、独身を問わず)の特性とも考えられる。つまり、性的対象を探索する正当な活動(恋愛)が限られてしまい、身近な異性に対してその機会を求めざるを得ないのだ。日本自然主義文学の発祥の作品と言われる『蒲団』も、住み込みの若い弟子に執着する中年作家を取り上げたものだ。そういう中高年男の性的欲求は当然醜いものとして描かれる。藤村は『新生』の前編においてはそういう常道に従ったが、後編では愛の物語として造形しようとした。
ところで、身内の異常な男女関係を描いたと作品として、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』がある。この作品は妊娠の懸念とは無縁である。主人公の性的興味の対象である嫁(息子の妻)は避妊をしている。それどころか、主人公自体が性的能力を失っているのである。
『瘋癲老人日記』は主人公の老人の日記という形態をとっているが、作品の終末部で主人公が発作に倒れて日記を書くことができなくなり、看護婦、医師、娘の手記が後日譚的に付け加えられている。
主人公の卯木は、妻、息子夫婦(浄吉と颯子)、孫(経助)と一緒に東京の麻布に住んでいる。病気がちなため看護婦の佐々木が住み込んでいる。娘の五子と陸子は嫁いでいる。主人公は引退しているが、不動産取得や配当所得で暮らしている資産家であり、女中や運転手もいる。
颯子は日劇の踊り子の経験があり、ナイトクラブで働いていたこともある。結婚当初は浄吉が夢中だったようだが、子供ができてからは彼の熱が冷めたらしい。主人公は颯子を気に入っていて、実の娘が金銭的援助を求めても応じないが、彼女には欲しがっている高価なものを買ってやる。
颯子は自分に対する主人公の興味を察していて、シャワーの際に体を触らせたりするようになる。その代償として、主人公の甥の春久を彼女の部屋へ引き入れることを黙認させ、高価な宝石を買わせる。主人公は颯子とのさらなる肉体接触を望むが、彼女ははぐらかしてなかなか主人公の思い通りのことをさせない。それがまた主人公の執着の気持ちを激しくさせる。
自分の墓地を決めるために、颯子と看護婦に付き添われて、主人公は京都へ行く。墓地を法然院に決め、自分の墓石に颯子の姿を刻ませようと主人公は思うが、それが難しそうなので、颯子の足型を石に刻むことを思いつき、彼女の足の拓本を作ることを試みる。墓の中で彼女の足に踏みつけられることを妄想して。
帰京した主人公は発作を起こし、動くこともままならなくなるが、颯子の足の拓本を飽かずに眺めていた。やがて庭を短時間散歩できるほどには回復した主人公を、周りの人間は仕方がないと容認の態度で見守っている。
今の時点で読むと、この作品に衝撃を受けるようなことはないだろう。むしろ滑稽な面白さを感じ、高齢の読者なら主人公に共感を覚えるかもしれない。「瘋癲老人」と題されているように、実際にここまで行動に出る老人はいるまい。こういう老人がいたとしたら、みっともないとか、セクハラだとか、責められ嫌われるのは今でも同じ(むしろさらに厳しい)と思われる。しかし、当時と比べれば性的な表現の制限は大幅に緩和されているし、性的な関係の多様さにも寛大になっている。性的描写としては特別視するほどのことはない作品である。
私の興味は、義父と嫁の関係について、『新生』と比較してみることにある。
14
『暗夜行路』と『新生』については、性的快感と心情的な愛着の関係を検討した。両者は別々であり得るが、お互いに影響を受ける可能性もある。もちろん、女性の側に立てば、性的快感も心情的愛着もない性的関係もある。そのような関係は男性の側からの強制によって生じる。『瘋癲老人日記』の颯子にとっても、義父の仕掛けてくる性的要求はそのようなものであった。
しかし、颯子の場合は別の要素がからんでくる。彼女は義父に一方的に肉体を搾取されているのではないのだ。対価を要求するのである。
男(義父)の側が性的不能であることが二人の性的関係を特徴づけているのではない。確かに、『瘋癲老人日記』の主人公は肉体的な性的能力を失っている。しかし、他の多くの人々も、様々な理由で性的能力を発揮できないでいる。一番の理由は、異性の同意を得られないということだ。
『瘋癲老人日記』の主人公には財力があるので、もし彼に肉体的な性的能力があれば、性的関係を取り結ぶ相手を得るのは可能であるだろう。ところが、彼は性的能力を失っているだけでなく、体力的も衰えて動き回ることが難しい。そこで、身近な女性としての嫁を性的興味の対象としているのである。いわば、性的関係の相手を得られない(モテない)若い男が、身近な女性を性的な興味の対象としているのと同じ構造なのだ。そういう若い男なら興味の対象とする女性を思い浮かべながら自慰をするところだが、『瘋癲老人日記』の主人公は性交なき性的関係によって性的快感を得ているのだ。
そして、彼は心情的な愛着もある。ただ、彼の場合、それが被虐的な形態をとっている。
ココニ同程度ニ美シイ、同程度ニ予ノ趣味ニ叶ッタ異性ガ二人イルトスル。Aハ親切デ正直デ思イ遣リガアリ、Bハ不親切デ嘘ツキデ人ヲ欺スコトガ上手ナ女デアルトスル。ソノ場合ドチラニ余計惹カレルカトイエバ、近頃ノ予ハAヨリBニ惹カレルコトハ先ズ確カデアル。
だが、これは主人公も認めるように、ほどほどであって、あまりひどい性質では困るのである。颯子は、いわゆる水商売の経験もあるが、「ロクロク学校モ出テナイノニ、頭モ悪クハナイラシイ。負ケズ嫌イナノデ、家ヘ来テカラ勉強シテフランス語ヤ英語モ片言グライハシャベレルヨウニナッタ」女性である。しかも、「彼女ハ本来ソンナニ悪イ性質デハナイ。今デモ本心ハ善良ナノデアロウガ、イツノマニカ偽悪趣味ヲ覚エ、ソレヲ自慢スルヨウニナッタ。ソウシタ方ガコノ老人ノ気ニ入ルコトヲ看テ取ッタカラデアロウ」というのである。
颯子がこのような性格の女性であるのは、義父との取引(性的サービスと金銭的援助との交換)に応じるような女性でなければならないからである。そうでないと物語が成り立たない。
では、なぜ谷崎は主人公を性的不能として設定したのであろう。義父と性的関係を持つことを颯子が容認しても不自然ではないのではないか。谷崎が意図したのは、女性が性的快感を得る可能性が生じるのを避けるために、通常の性的関係を排除することである。颯子は自分の肉体をあくまでモノとして、商品として主人公に提供するのである。性的快感は双方的である必要はなく、したがって享受させる方は自己を単にモノとして提供するだけでよい。これは売春と同じ形であるが、性交が欠如しているという点で、逆によりモノ性が強調される。主人公にとっては、颯子の肉体が精神を欠いて与えられるため、自己の性的快感に没入するしかなく、性的関係で彼女に働きかけるすべがない。逆に言えば、あやふやな感覚や精神などに惑わされず、モノの絶対性にひれ伏すだけなのである。颯子の肉体は絶対的なモノとして主人公に君臨するのである。
だが、主人公は性的快感だけでなく、心情的愛着をも必要とする。颯子に見下げられ、いいようにされていることに、被虐的な心情的愛着を得るのである。あたかも、颯子が絶対的で気まぐれな支配者であり、自らが哀れな召使か奴隷であるかのように。しかし主人公のこの心理にはからくりがある。老人はそういう関係を演じているのであり、颯子にも演じさせているのだ。
主人公と颯子との関係の基礎となっているのは、それぞれが持つ資源を使っての交渉という経済的なものである。つまり、老人は資産を持ち、颯子は肉体的魅力を持っている。両者は、自分が所持する資源と、自分には欠けているが相手が所持していて、しかもその使用を望む資源を、交換するのである。主人公と颯子は対等で独立な経済人として、経済的取引をしているにすぎない。そこに搾取や隷従という社会的関係はない。
15
『暗夜行路』からはるかに遠くに来てしまった。この地点から見てみると、『暗夜行路』に欠けていたものがよく分かる。それは性的関係における女性の意思なのだ。
直子に対する謙作の不可解とも思える態度は、作者が意図的にそうさせているのだ、というのが私の解釈であった。作者の第一の関心は「気分」をどう扱えばいいかということであり、直子の「過失」は単に謙作の「気分」を具体化させるために使われているに過ぎないのだ。しかし、そういう「気分」はどこから由来したのだろうか。設定した状況において謙作がそのような「気分」になると想定したのであるから、そこには男女関係についての作者の見方が反映されているはずである。
謙作を悩ませる男女関係は身内で起こっているのが特徴である。親族内での性的関係は、近親相姦の忌避に典型的にみられるように、禁じられていることが多い。しかし、親族内では、身内という結びつきによって、異性と接する機会が身近になる。男女関係の「過失」が起こりやすい環境なのだ。そして、禁じられているがゆえに、そこでの性的関係は合意を欠いたものになりがちである。そのことを謙作がどう受け止めたか(作者がどう想定したか)を検討してみなければならない。
『新生』や『瘋癲老人日記』に見出されたのは、性的関係と性愛の齟齬であった。そこで、性的関係をモノとしての肉体という観点から見てみることにしよう。モノという概念を立てるのは、一方の性における、性的快感も愛着もない性的関係というものがあり得るからである。体と心、肉体と精神という対比では、そういう性的関係を把握し得ない。どちらかの性(主に女性)の同意を欠いた性的関係をモノという概念を使って検討してみよう。
大まかな言い方をすれば、『暗夜行路』の被害女性たちは、加害男性によってモノと化さざるを得なかった。男性の側がどうであれ、女性にとっては体(性的快感)も心(愛着)も関係してこないのである。『新生』では、モノ化された女性の変化を契機として、両性の体と心の微妙な関係が描かれていた。『瘋癲老人日記』での男女関係は、女性が自らをモノとして取引に提供し、男性が金銭を対価にしてそのモノを愛玩するというものであった。
『暗夜行路』の非正規的な性的関係を『瘋癲老人日記』の男女関係から照射すれば、第一に女性の側の同意の欠如、それに関連するのだが、第二に男性の側の対価の提供の欠如ということになろう。女性がモノ化されているのだが、それが女性の同意なしに、そして何の対価もなしに、なされているのである。同意や対価がないということ、それはつまり強制によってモノ化されてしまったということである。「奪われる」という言葉は、このようなモノ化において使われているのであろう。しかし、この言葉は本来女性が使うべきはずのものである。「奪われた」のは直子であって、謙作ではない。
女性がモノ化されるということは、裏返せば女性は男性に体も心も与えていないということだ。謙作はその点では直子を疑ってはいまい。他の男が直子のモノとしての肉体を奪おうとも、直子が謙作を裏切ったことにはならない。謙作はそれを直子の災難として受け入れることができるはずだ。しかし、それができない。そのことを謙作は悩んでいるのだ。なぜだろうか。
謙作の悩みの原因は複雑に重なり合っているのではないか。単にモノ化と言うだけでは十分に理解できないようだ。そもそも人間はモノではないということがなぜ言えるのだろうか。
遺伝子レベルの観点からは、性的関係を持つということは生殖を意味する。だから、その行為がどのような状況で行われ、行為者自体がその行為をどのように受け取っていようと、性的行為は生殖の機会の獲得競争の結果とみなされるのである。性差別的な見解になるかもしれないが、メスを他のオスに奪われたオスは、生殖という生物的な生の究極的目的の達成を妨げられたことにより、自己の存在意義を否定されたことになってしまう。つまり、このレベルでは、モノであるのは女性だけではないのだ。男性も生殖マシンとしてモノであるしかないのだ。
しかし、人間の性的関係は、そのような根源的な意味を含みつつ、他の要素もからんだ複雑な現象になっている。人間の性的行為は、性的快感の源泉であり、心情的愛着の基盤であり、社会的関係に組み込まれ、経済的取引の対象にもなる。
人間が単なるモノではなくなるのは、性愛によってではないだろうか。私たちに性愛というものが備わっているのは、性的関係の偶然性を減らし、何らかの必然性や継続性を組み込むためであると考えられる。性的関係に性的快感や心情的愛着があることで、モノとしての関係に秩序性をもたらすことができる。感覚や情緒によって、両性はお互いに選択し合い、同意を前提とした性的関係を結ぶ。両性はモノではなく、意思ある主体となる。むろん、遺伝子の作用が根底にはあるのだが、生物個体としては競争の勝敗に理由がつくのだ。遺伝子的なモノの結合が、性選択という体と心の作用に転化する。つまり、私たちが性愛というものを備えるようになったとき、モノ(個体)から人間(個人)になったといえるのではないだろうか。
ただし、それですべてがうまくいくわけではない。それだけでは十分な安定は得られないのだ。競争に敗れたもの(多くはオス)がそれで納得するとは限らない。性選択によって成立した性的関係に、無理やり(あるいは策略によって)割り込もうとする。そのような行動が性愛による秩序を乱し、遺伝子的なモノ性を復活させてしまう。
謙作が個人としての男女の理想的な結びつきを夢見たとしても、すべての男女がそういう形で自足しない限り、安定は得られないのだ。謙作が意思ある主体として自己のモノ性を克服し、直子にもそれを求めたとしても、他の男が直子をモノとしてしまうことを防ぎえない。謙作が女性の危うさを意識せざるを得ないのは、性愛による秩序が穴だらけであるからなのである。
このような個人レベルでの不安定性に対し、当然、社会レベルで何らかの対処がなされることが期待されよう。無秩序な異性獲得競争をコントロールする社会的方法の一つが婚姻制度であるのではないか。そう考えたくもなるが、それほど単純ではなさそうだ。婚姻制度は両性の結びつきを安定化させるというよりも、親族の形成に重きが置かれていた。それゆえ両性あるいはどちらかの性の同意を必要とはみなさない傾向がある。ここにモノ化が忍び込むが、それは生殖におけるモノ性とは次元が異なっている。つまり、性愛的秩序は二つの面でモノ化の脅威にさらされているのだ。一つは遺伝子的な衝動によるモノ化、もう一つは社会的制度の強制性によるモノ化。
むろん、人間の性的関係は制度に完全に閉じ込められることはない。制度から逸脱するのは、性愛に導かれた男女の意思かもしれないし(それは制度によるモノ化からの逃走である)、制度の中でモノ化された女性の強奪かもしれない。制度もまた二つの脅威に直面している。モノが性愛によって人間化することと、同意の欠如が当然視されてモノ化が極端化してしまうこと、である。
婚姻制度のような仕組みにおいては主に女性がモノ化される。妻は夫の所有物であり、他の男が妻に手を出すのは所有権の侵害になる。制度の中で夫としてはそういう意味での妻のモノ性を意識せざるを得ない。謙作はモノとしての直子の所有者となる。謙作が直子を家庭におけるパートナーとして扱おうとしても、直子の所有物性を消し去ることはできないのだ。それゆえ、奪われたのがたとえモノとしての直子にすぎないとしても、謙作は喪失感に襲われるだろう。
もちろん、謙作は制度になど頼るつもりはなかったろうが、それが破られたときにそれに守られている自分に気がついたはずだ。制度に頼ろうとすれば、モノ化の危うさに悩まされる。しかし、制度がなければ、性愛の秩序の不安定さに呑み込まれる。謙作は制度を超えた男女の結びつきを求めようとしつつ、制度以外に頼るもののない世界をさまよっている。