二人のピンカー
1
出会いというのは不思議なものである。それは人でも本でも同じだ。2006年の夏、ロバート・ピンカー著『社会福祉三つのモデル』(1979年、磯部実監修、星野政明訳、黎明書房、1981年)という本を手に入れた。図書館の一画に自由に持ち帰ってよい不用図書が並べてあって、その中にあったのだ。段ボール箱に入れられて机の上や下に置かれたたくさんの本は玉石混淆で、だいたい十年から二十年ぐらい前に発刊されたものである。
ピンカーについては何も知らなかった。社会福祉の専門書などどうせ誰も引き取らないだろうと思って持って帰ったのである。いささか古いので期待はしていなかったのだが、読み出したら興味深い内容だった。そこでピンカーについて調べてみようとインターネットで検索したが、参考になる記事が見当たらない。よく出てくるのはスティーブン・ピンカーという名である。二人がそれぞれ携わっているのは全く別の分野なのだが、これも何かの縁だと思って、後者の著書も読んでみた。
二人のピンカーの著書を読み終えて、私の中で二つが結びつくように感じた。一方は英国、四半世紀前、社会福祉学で中道路線を苦労して探求している、他方は米国、つい最近、認知科学で生得説を自信たっぷりに唱えている。二人の主張の間に共通性など見出されるのか。
まず、『社会福祉三つのモデル』について述べてみよう。
2
ロバート・ピンカーはこの本の中で、古典的政治経済学的個人主義とマルクス主義的集合主義の間の中道として、自らの立場を重商主義的集合主義と呼び、ベバリッジやケインズに連なるとみなしている。この当時、共産主義もしくは社会主義の権威は失墜しかけていたが、なおまだよるべき現実的対応物があった。だが、この後それらは速やかに崩壊してしまう。健忘症の私自身のためにも簡単な年表でおさらいしよう。
1968年 プラハの春(1969年 チェコ事件)
1979年 サッチャー政権発足
1980年 ポーランド「連帯」結成
1981年 レーガン政権発足
1985年 ゴルバチョフ、ソ連共産党書記長に選出
1989年 ベルリンの壁崩壊と東欧革命
1991年 ソ連崩壊
今となっては、マルクス主義を一方の極とした中道というのはアナクロニズムでしかないように見える。あるのは新自由主義という唯一の極であり、そこからの距離によって自分の位置を計るしかない。しかし、マルクス主義が専有する以前から、そしてマルクス主義が去ってしまってからも、集合主義の伝統は存在し続けている。福祉という言葉によって私たちが想起するのはその伝統なのだ。福祉国家は批判されているが、アメリカでさえ社会保障政策に深くコミットしてしまっている。
マルクス主義が退去してしまったので、中道は一方の極という先祖の立場を取らざるを得なくなったという面もあるのではないか。もともと福祉という言葉には独善的な雰囲気があり、ピンカーも次のような危険を指摘している。「『ソーシャル』[社会]という術語をあたかも『セイクレッド』[神聖]と同義語として使用して」、「経済市場の価値とその断言命令に、<汝=よりも=はるかに神聖なるぞ>式の態度の仮説を持って臨むこと」、あるいは、「個々の『福祉権』なるものの実質は、自己以外のだれか他者の生産的義務の上に安座した一つの要請である、という暗意を持つもの」であることに気がつかぬこと。
誤解されては困るが、こういうことを言っているからといってピンカーは新自由主義のはしりではない。彼は経済市場に対する社会市場の従属性を認識してはいるが、両者が排他的なものとは考えていない(経済市場と社会市場の区別については後述するが、ここではおおまかに社会市場とは社会保障も含めた福祉的活動の場と取っておいてほしい)。経済市場を無視しては社会市場について語ることができないという現実、しかも、社会市場を支えるはずの利他主義も、家族、コミュニティ、国と範囲が広がるにつれてその強度が失われていき、国境を越えることは非常に困難であるという現実に、ピンカーも悩んでいるのである。
彼の問題意識は現在の日本でも解消していない。私たちは格差社会とかワーキングプアとか高齢者や障害者への社会サービスとかの問題に、同様の悩みを持たないであろうか。富者に負担を求めることに対しては、新自由主義者からの次のような批判にあう。富者に負担を課すことは、経済活動を低下させ、結果として全体の福祉水準を下げてしまうことになる。この批判は社会主義の失敗という現実に裏打ちされた強力なものである。これに対する実用主義的な反撃としては、格差が犯罪などを引き起こして社会的統合を脅かすとか、格差が労働者のやる気をなくさせて経済活動を低下させるとかの意見があるだろう。しかし、治安の悪化に対しては警察力の強化などで対処できるのであれば、また、格差がありながら(あるゆえに?)経済成長が可能であるならば、このような反撃は無力化されてしまう。
当然なことに現在のグローバリゼーションはピンカーの視野にはないが、しかし彼が重商主義的集合主義の立場に身を置くからには、「差別移民と関税諸政策とは、それによって現代福祉諸国家が、その国民たちの福利を増進するために継続する別の手段である」ということを意識せざるを得なかった。現在の日本では貿易自由化による低コスト競争は格差をもたらす主要因とみなされている。また、研修生制度によってかいま見られた低賃金労働者としての移民問題も遠からず顕現化するであろう。
つまり、私たちもピンカーと同様に悩んでいる。困窮者は社会が進行していく上で生じてしまう泥はねのようなもので、好ましくはないが我慢せざるを得ないという新自由主義の立場に思い切って飛び込むか。あるいは、ピンカーがティトマスについて述べたように、「たとえ見知らぬ人であれ、ニードが証明されているいかなる人に対しても、集合的援助を差しのべることが、道徳的にみて正しいことであるとする信念」にしがみつくか。両者の間に、足を置くべき確固たる地面があるのだろうか。
3
経済市場と社会市場の特性に関しては、前者には個人主義、利己主義、交換、自立などの言葉が、後者には集合主義、利他主義、贈与、相互扶助などの言葉が親和的である。ちょっと乱暴だが、経済市場は利己主義を、社会市場は利他主義を原理とするとして、考えてみよう(個人主義と集合主義の方が適切なのかもしれない。しかしここでは言葉の定義上の問題にかかずらうことはやめておく)。
一瞥しただけの改善策は、利他主義を育成するというものであろう。なぜなら、利己主義は放っておいても自然に発生するもので、駆除しなければ野放図に拡大する雑草のようなものであるのに対し、利他主義というものは植え付けた後も常に世話をしなければ生き延びるのが難しい人工改良品種のようなものであるから。つまり私たちは、「思い遣りの心を育てよう」というスローガンに見られるように、利他主義を発生させ(性善説は元からあると主張するが、どちらでもかまわない)、育成することができるもののように考えている。確かに利他主義は喚起される。大きな災害などの報道によって多額な寄付金が集まる。しかし逆に考えれば、その程度の利他心を喚起するために、それだけ大きな災害が必要であるというなら、利他心の育成にはかなりなコストがかかるとみなければならない。その結果得られる利他心の作用は、かかったコストに見合うものであろうか。利他心キャンペーンが飽きることなく繰り返されているということは、期待されるほどの成果がいまだあがっていないということであり、そのことは逆に言えば利他心の現行の程度がほぼ安定したものであることを示している。
逆に、なぜ私たちは利他心を捨て切れないのだろうか。他人が困窮していようが、それは彼の問題ではないか。自分に影響がなければ(襲われたり、病気をうつされたり、めざわりだったりしなければ)放っておけばいいのではないか。しかし、そのように割り切ることもできない。
私たちは限定された利他心を持っている。私たちがそれを成長の過程で獲得したのであれば、もっと多く持てると期待し得るだろう。しかし、私たちは利他心というものを持って生まれたのであり、後から獲得したのではないとしたらどうだろう。経験や教育はその内容を決めることはできても、それ自体(能力とでもいうか)は生得的であるとしたらどうだろうか。私たちにもっと利他的になれというのは無理なのではなかろうか。
私たちは利他心に、そしてそれが働く社会市場に過大な期待を持ちすぎているのかもしれない。利他心は確かに存在する、しかも、もろい付加的な社会的作法としてではなく、しっかりと根づいた生得的な能力として。ただし、そのことが、利他心の能力を限っているのかもしれない。社会市場は、私たちの利他心の能力の限界によって、一定の大きさ以上には拡大できないのであろう。
私たちは経済市場と社会市場に重複参加していて、資本主義社会では前者の比率が格段に大きくなっている。困窮の原因が経済市場にあり、社会市場がそれに対応する力量がないとすれば、経済市場に問題の解決を求めざるを得ない。しかし、経済市場が独自で自分の問題を解決できないのであれば、何らかの政治的介入が必要である。マルクスもケインズもそう考えたのだろう。
現在、経済市場に対する政治的介入の弊害が声高に叫ばれている。そして、私たちが知ったのは、政治的介入の多くが、困窮者のためではなく、特権を生み出すための手段として使われていたことだ。政治への不信から、私たちは再び社会市場に救いをもとめようとしているが、そこはより一層政治的な策略のはびこりやすい場所でもある。次のようなピンカーの苦悩の言葉は、今なお私たちのものでもある。
西方的な議会制民主主義の危機と矛盾がくりかえされる真只中で生きている私たちの仲間の実務者にとっては、混合経済の中道は、まさしくかの終わりなく続く〈十字架への悲しみの道〉にも比すべきものと考えてみたくなる誘惑にかられることもある。けれどもいまだ、社会政策の比較史は、よりよき世界に到達するための巡礼者の歩みにとって、何か骨の折れないような歩み方を供与しているようには思われない。それぞれの通路が、それぞれ自身の《落胆の泥沼》と、《猜疑城と虚栄の市》をもっており、そして私たちは、いまだなおその旅路のおわりにおいて、いかなる天国をも望み見るには至ってはいないのである。
4
うかつなことに私はスティーブン・ピンカーについても何も知らなかった。ネットで当たってみると、進化心理学という分野で有名らしい。面白そうなので以下の三冊を読んでみた。
『言語を生みだす本能』(1994年、椋田直子訳、NHKブックス、1995年)
『心の仕組み―人間関係にどう関わるか―』(1997年、椋田直子訳、NHKブックス、2003年)
『人間の本性を考える―心は「空白の石版」か―』(2002年、山下篤子訳、NHKブックス、2004年)
スティーブン・ピンカーの本は、宣伝文句ではアメリカではベストセラーになったということだが(二冊はピューリッツアー賞候補になったらしいから本当なのだろう)、日本ではあまり話題にはならなかったのではないか。もしそうであるなら、その事実――この本がある地域(たとえばアメリカ)で評価され、他の地域(たとえば日本)であまり評価されないという事実は、文化というものが行動に影響を与えること(皮肉なことにピンカーが攻撃している説)の証明になってしまっているのではないか。かつての、アメリカにおける精神分析の席巻、そして行動主義との覇権争いについては、幾分かは知っていた。だが、ピンカーの言う「社会科学の標準理論」というものがアメリカにおいてこれほど支配的になっていたとは知らなかった。そういう状況を実感していなければ、ピンカーの斬新さが理解できない。
一つの(あるいはひとかたまりの)学説が知識上の支配的な地位を得るというのは、日本ではマルクス主義の経験がある。マルクス主義の凋落は、知的な分野における戦いの結果もあるが、それよりも社会主義国の運営の失敗という政治的事実が決定的であった。純粋に知的な争いによる主権交代(パラダイム変換?)というものを私たちは経験したことがあるのだろうか。社会的政治的経済的な動きが主導するという(いささかマルクス主義的な観点だが)ことが常ではないのか。とはいえ、アメリカにおける知的変動にも、背後の事情があるのかもしれない。
ピンカーの著書を読んで気がつくのは、常識というものの健全さを擁護する姿勢である。より正確には、知識人的な通説(過去の学問的成果が、世間的に、あるいはまだそこまでの状態ではないが少なくとも専門家の間で、常識化したもの)を、新しい科学的知見と一般人の常識によって挟撃すると言った方がいいだろうか。いや、話はそれほど単純ではなさそうだ。新奇な説というものは常識を覆すという形で現れ、成功すればやがて支配的になり、新たな常識(通説)となる(そういう経過を経験しているので、私たちは逆説に案外弱い)。逆説性を帯びた権威というものは素朴実在論的な常識を足下に組み敷いている。ところが、そのような支配的な説が反駁されるとき、その説が否定した以前の常識が復活するように見えるのだ。
たとえば、ピンカーはサピア=ウォーフ流の言語決定論を批判する。イヌイット(以前はエスキモー)には雪を表現する言葉がたくさん(400以上とも)あるということは嘘である。たとえそうであったとしても、その事実が、イヌイットの人たちが現実を私たちとは違うように見ている証明にはならない。私たちの現実認識は文化のレベルよりももっと普遍的である。このようなピンカーの方法に、現象学との共通性を感じるのは私だけだろうか。錯視から目の機能が語られるとき、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』(1945年)が想起される。むろん、ピンカーは現象学的であるというよりも科学的である。ものを見ることや言葉を聞くことの機能的な複雑さを彼が語るとき、現象学はこのようにして継承されるべきであったと思う。
しかしながら、常識の復活であっては単に元通りになってしまう。要するに、「生得か文化か」「氏か育ちか」という問いに、従来の科学(通説)が「文化」・「育ち」の重要性を強調しているのに対し、両方だよという常識的な返答をしているように見えるのだ。そういう受け取り方をする限り、彼の説は少しもショックにはならない。
ピンカーは社会生物学への反発に対しては果敢に反論する。
人間の本性というものが存在すると認めることは、人種差別や性差別、戦争や強欲や大量虐殺、ニヒリズムや政治的反動、子どもや恵まれない人たちの放置などを是認することだと、多くの人が考えているのだ。そして、心が生得的な機構を持つという主張は、まちがっているかもしれない仮説としてではなく、考えるだけでも不道徳なものとして受けとめられている。(『人間の本性を考える』)
ピンカーは、そのような反発は誤解から生じているものであり、生得説を認めない立場からも偏見は生じるのであり、事実を認めることとそれを是認することとは別であると主張する。
しかし、「事実である」ということから政策的課題が引き出されてくるのは当然のことである。本性がある、あるいはそれがどう作用しているか、ということを知ることは、人々の考え方や行動の仕方に変化を与えるであろう。本性に逆らって無理を強いる(自然でない)社会はうまくいかないという主張は、少なくとも社会経済体制に関しては、いま主流になっている。
ピンカーはマルクス主義やフェミニズム(の一部)に対して、人間の本性を見誤ったために誤った方針を取っていると批判している。もしそのことでそれらの説が弊害を起こしていると言うなら、人間の本性を見極めた立場というのが政策的に妥当である(人間の本性に反することは、少なくとも程度の問題として、無理がある)ということになる。そうでないというなら、マルクス主義やフェミニズムは見方を誤っているだけで現実的な影響はないのだから、どう見るかは勝手ということになり、批判するだけの労力をかける価値はないであろう。
ピンカーのこのような主張に対して、日本の文化は鈍感なのであろうか。決してそうではあるまい。もしかすると、私たちは済んでしまった戦いの結果としてピンカーを受け入れたのだろうか。
5
ピンカーの説がショックになるかもしれない領域が日本にもある。それは教育問題である。ピンカーは性格の生得性を主張している。
ある人の気質やパーソナリティは、人生の早期にあらわれ、生涯を通じてかなり一定している。それにパーソナリティにも知性にも、所属する文化の個々の家庭環境の影響はほとんどあるいはまったく見られない――同じ家庭で育った子どもが似ているのは、おもに遺伝子を共有しているためである。(『人間の本性を考える』)
彼の根拠にしているのは家庭の比較のデータであるので、家庭外での環境要因については断定していない。しかし、子どもの「社会化」においては家庭よりも仲間集団の影響を重視する見解に賛意を示しながらも、性格形成に関してはその影響に疑問を呈し、むしろ生得的な要因が主ではないかと言う。したがって教育に関するピンカーの視点は技術重視になる。
教育はブランク・スレートに書き込むことでもなければ、子どもたちのもつ高貴さを開花させることでもない。そうではなく、人間の精神が生まれつき苦手とするものを補うことを試みる技術である。子どもたちは歩いたり、しゃべったり、物を認知したり、友だちの性格を憶えたりするという、読んだり、足し算をしたり、歴史上の日付を憶えたりすることよりもはるかにむずかしい課題を、学校に行かなくても学ぶ。書き言葉や算数や科学を学ぶには学校が必要だが、それはこれらの知識やスキルが発明されたのがあまりにも最近のことで、まだ種全体が要領を進化させるにいたっていないからである。(『人間の本性を考える』、ただし訳文を少し変えて引用している。)
道徳心については少々複雑になる。そもそも人間には道徳心があるというのは常識に属する考えであろう。人間には本来的によい心と悪い心があって、相争っているというのは私たちの実感である(性善説と性悪説のどちらも受け入れる)。しかし、同時に私たちは赤ん坊や小さな子どもにはそういう心の葛藤はないと思え、成長過程で悪が身に付き道徳が教え込まれるものだとも考える(生まれたときは性善でも性悪でもない)。この二つの考えをつきつめては考えず、能力も性格も価値観についても、生まれつきと育ちのごちゃまぜですませている。
ピンカーのいうブランク・スレート(タブラ・ラサ、白紙)説派は、それらが学習によって獲得されると主張して、常識があいまいに帯びている生得論的側面を批判した。一方、道徳心が生得のものであると主張して、彼等を攻撃する生得説派(ピンカーの立場)もまた常識を戸惑わせるものである。道徳心が生まれつきのものであるならば、道徳教育などは意味のないことであり、道徳心の少ない人間はどうしようもないということになる。
いま話題になっている「いじめ」による自殺の問題についての言説を例にとれば、マスコミなどでは学校や教育委員会の責任が盛んに問われている。いじめは正常から外れた出来事で、何よりもまず是正されるべきものとして把握されている。そのような態度の底には精神は作られるものだという考えがあると思われる。経験が原因であり、それゆえ治療にもなるということから、精神を操作しようとする安易さと傲慢さに突き進んでしまっているのではないか。カウンセラーを派遣して当事者たちの「治療」(明確な効果が確かめられたことはあるのか?)に当たらせようとする態度にそれがよく現れている。適当な措置を講じているということを示そうとする行政の身振りなのかもしれないが、少なくともそれを利用している。つまり、子どもの心はどうにでも変更可能なような思い込みがある。
一方、教育再生会議(07年1月に「社会総がかりで教育再生を」というおどろおどろしい題がつけられている第一次報告を出す予定らしい)の議論の内容はこれとは異なっているようだ。いじめる方の子どもを「出席停止」にしたり、「安心して学べる規律ある教室にする」といった、いわば強権的な手法が好まれている。いじめをする子どもは意地悪い性格を持っていると考える人もいるはずであり、そういう人が出す処方箋は罰の強化であろう。性格を変えるというようなことは困難であり見込みも薄いので、そんな悠長な手ぬるいことよりも、手っ取り早く押さえ込もうというのである。
ピンカーの主張を後者の見解に結びつけることはできるだろう。しかし慎重であるようにしよう。環境か遺伝かという論争において、両方とも大事だという立場は、もっともな正しさは確保するかもしれないが無策な傍観者になりがちである。その優柔不断さを嫌ってどちらか一方に重点を置けば、具体的な対応策を提出しやすい。しかし、それが妥当であったかどうかは結果で判断されねばならず、思うような結果が出なかった場合、ツケを支払わされるのは論争者ではなく論点の対象となった人たちである。
私たちがピンカーから学ばねばならないのは、現実の限界に目を向けると同時に、その限界を理由とするのではなく、その限界の中でどのように生きていくのかを地道に探ることである。しかし、それは難しい。私が二人のピンカーに感じたのは、その困難さと、そこにしか道はないという切実さであった。苦渋に満ちた嘆きか、威勢のよい宣言かの違いはあるけれども。
人間の本性が存在するという考えは、私たちに迫害や暴力や強欲さを永遠に負わせる反動的な教義ではない。有害な行動を減らす努力はもちろんすべきであって、それは飢えや病気や自然災害などの苦しみを減らす努力をするのと同じである。しかし私たちは、やっかいな自然界の事実を否定することによってそうした苦しみと闘うのではない。事実の一部をほかの事実と対抗させることによって闘うのだ。社会の変化を目指す努力を効果的なものにするためには、ある種の変化を可能にしている認知的、道徳的リソースを突きとめなくてはならない。そしてその努力を人道的なものにするためには、ある種の変化を望ましいものにしている、普遍的な喜びや苦しみを認識しなくてはならない。(『人間の本性を考える』)