『海辺の光景』と高齢者介護
『海辺の光景』が発表されたのは1959年であり、作品に書かれた時期は1957年である。今この作品を読むと、認知症高齢者の介護の悲惨さが目立つ。作品中の母親はたぶんアルツハイマー症であろう。アルツハイマー症には有効な治療法がまだないから、その悲惨さは現在においても変わらない。しかし、認知症高齢者に対する介護についての考え方や技術は変化してきている。認知症高齢者を精神病院や老人病院に閉じ込めることは完全になくなっていないかもしれないが、それを正常とみなして平気でいられる人はまずいまい。今なら主人公の母親はもっと介護の行き届いた(例えば縟そうの処置一つとっても)施設で死を迎えられたであろう。今なら、この作品に描かれたような環境(例えば精神病院における治療方法)は排除されているであろう。
主人公が母親をこのような環境に放置したことに大して悔恨を感じないのも、他に方法がなかったからと弁護できるだろう。今の読者は、主人公の心情は貧弱な介護環境によって触発されたにすぎないのではないかと疑ってみてもいいかもしれない。では、病気についての知識が未熟であったこと、介護の技術や制度が不十分であったこと、それらがこの作品を成立させているのであろうか。この作品は技術知識の水準と言う歴史的限界において成立し、それらが解決された状況ではこの作品は成立しなかったであろうか。
そこで思い出すのは、著者(安岡章太郎)の『暗夜行路私論』(1968年)の中の以下の箇所である。
繰り返していへば、渡良瀬川の鉱害は、それを取り除く知識も、処理する手段もないところから起ったものであり、そこにすべての原因があった。だから渡良瀬川事件を解決するには何よりも技術的知識が必要であり、それを欠いた思想はどれほど近代的な言辞で飾られてゐても、根底は昔からの百姓一揆と、それほどの距たりはなかったろう。同様に、鉱山側にはまた採用した新式採鉱技術のうしろに、どんな思想があったかを全然知らなかった。だから、農民側と鉱山側とが対立し合っても、その両者が対立を争ふ“土俵”は本当のところ何処にも用意されてゐなかったわけであり、そこにこの事件の悲劇と、不毛な争いのムナしさがある‥‥。
技術知識の不足が「すべての原因」であるなら、思想など不用と言ってしまえばいいと思うのだが、「鉱山側」の技術知識が解決をもたらさないことの説明に思想を持ち出して来ざるを得ない。そこから技術知識を欠いた思想と思想のない技術の対立という字面に引きずられてしまっているが、著者が重点を置くのは技術知識である。
そして渡良瀬川鉱害事件の場合、実際の解決に当たったのは、おそらく政府・鉱山側にも、農民・社会運動家側にも、まったく関係のないところから、出て来た土木技師か誰かに決まってゐる。彼は河の水をウマく流すにはどうすればいいかといふことだけ考えて、遊水地施設の図面をひいた、それを誰かが傍で見てゐて農民運動解決に利用することを想ひながら、黙って眺めてゐたのであらう。
ここには技術万能ニヒリズムとでもいうものがある。しかし、この文章の中においてさえその破たんは明白である。「土木技師か誰か」は自発的に「図面をひいた」のであろうか。それとも、「農民運動解決に利用することを想ひながら、黙って眺めてゐた」誰かが指示したのであろうか。技術・知識の中立性などというものが幻想であることは、水俣病(1953年最初の急性激症患者発生、1968年政府の公害認定)や薬害エイズ(1989年初の訴訟、1996年厚生省謝罪)を経過した今では明らかであろう。
技術もまた対立する。いや、対立するのは利害である。対立する利害を解決するのは(法を含めた)技術であるかもしれないが、どの技術をどう使うかは思想の問題である。利害対立をどのように調整し、解決するかをめぐって思想の対立は存在するのである。科学的知見は思想形成に大きな役割ははたすけれども、単独で利害対立の解決を行うことはできない。
何が言いたいのか。つまり、『海辺の光景』に描かれたのは、高齢者介護の技術知識の不足による悲劇ではない、ということだ。文学と現実の次元が違うなどという寝言を言っているのではない。たとえ、技術知識が進み、アルツハイマー症の治療が可能になっても、『海辺の光景』は成立する。渡良瀬川鉱毒事件が決して技術によって解決したのでないように、『海辺の光景』は技術によって解消されはしない。