『新生』の愛
島崎藤村の『新生』について何ごとかを語ろうとすれば、平野謙の新生論を無視することは出来ない。私は平野のファンであり、彼の評論を読んでからそこに取り上げられた作品を読むことが多く、場合によっては作品を読まずにすましている。『新生』についてもずっと読まずにいた。今度『新生』を読んでみて、平野の新生論によって抱いていたのとは少し違った印象を受けた。そのことを書いてみたい。私は平野の立論に異議を唱えるつもりはなく、ただ多少の補填をしたいと思うのである。
平野は『新生』が書かれた「現実的作因」として、「恋愛からの自由と金銭からの自由」をあげている。平野は「『新生』には芸術家固有の作因というものがあるだろうか。本質的にそれが缺如しているのではないか。そこにあるものはただ現実の擬装だけではないか」と問い、「それは恋愛と金銭からの自由という現実的作因とならんで、その固有の芸術的作因もそこにあざなった希有の作品だった」と半分は救い上げてはいる。しかし、他の半分については次のように断罪する。
『新生』全編を仔細に読めば、かかる藤村の制作態度に規制されて、当然描くべき性格や場面の掘りさげを作者が見て見ぬふりしてはぶいたり、ぼかしたり、ひずめたりした例証はいたるところに見られる。まず第一に、それは岸本捨吉の驚くべき鈍感性としてあらわれている。一般的な意味における男性固有のエゴイズムや芸術家独特の迂闊などを越えた、奇怪至極な鈍感性となって結果している。そして、そのような人間的鈍感性は対蹠的に節子の朦朧たる傀儡性を伴わずにはおかない。捨吉の一方的な鈍感性に圧服されたままで、いささかのあらがいも許されぬような傀儡性をそこにもたらさずにはいないのである。
しかし、はたして岸本=藤村はそこまで作為的であったろうか。「綜じて、節子がどのような態度で捨吉を拒み、あるいは受け入れたか(中略)というような、節子の内部に立ち入った描写は、少なくとも『新生』前編にあっては、全く見当たらないのである」という平野の指摘については、他の解釈もあり得るのではなかろうか。平野の言うように「まだ女学生気分も十分ぬけきっていない節子は、一個の女性として、男ざかりの捨吉の心を誘惑する何物も持たなかった。捨吉の側からいえば、そこには愛情のかけらもなかった。抑圧された生の衝動が最も手近な対象に自然の吐露を求めたにすぎなかった」であろう。だとすれば、岸本=藤村がそのような過程を詳しく描こうとは思わなかったのは当然である。『新生』第1巻は発端として仕方なく書かれたものであり、それゆえ、「序章から主人公の巴里到着にいたる叙述は、読者の理解をつまずかせ、焦だたせ、反撥さえ感ぜしめる苦渋の筆つきに満ちて」(平野)いるのである。それでもなおかつ『新生』が書かれたのは、第2巻に描かれた状況が展開したからであると思われる。
平野は「フランスゆきと事件執筆とは同じ平面上に並ぶ腥い現実の行動に他ならなかった」というが、フランスへの逃亡と作品による告白は明かに違った対処の仕方である。その違いの原因は、節子の心情に対する岸本の理解の違いがもたらしたものと言える。二人の最初の関係は、保護者であるべき年上の男による誘惑によるものであり、女はただ受け身であって、男が全面的に責任を取らねばならないものである、と岸本(藤村)には思えた。節子が「あれほど自分が送った手紙も叔父さんの心を動かすには足りなかったのか」(第1巻109節)と訴えても、「分別ざかりの叔父の身で自分の姪を無垢な処女(をとめ)の知らない世界へ連れて行ったやうな心の醜さ」(同111節)を感じざるを得ないだけであった。であるからこそ、描写の対象になどなろうはずはなかった。うかつにも、岸本は帰国後に「両人(ふたり)の間の縒(よ)りが戻ってしまっ」(第2巻37節)てから初めて、節子の恋情に気がついたのである。節子の「低気圧」に「節ちゃんは奈何したといふんだろう」(同28節)と戸惑い、「どうかして、この人は救へないものかなあ」(同35節)と歎息するような的外れな対応をしていたが、節子の「わたくしどもの創作は、最初こそあんなでございましたけれども、間もなくわたしは長い間自分の求めて居たものであることを見出しました」(同54節)という手紙の告白によって、「一切の疑問が漸く解けかゝってきた」(同)。節子が岸本を愛の対象としていることを知って「長い間の罪過の苦痛から脱却して行かれるばかりでなく、あれほど身を羞じた一生の失敗をも、我と我身を殺そうとまでした不徳をも、どうやらそれを全く別の意味のものに変えることが出来るやうな、その人生の不思議に行って衝当(つきあた)った」(同55節)のである。岸本は「幾度(いくたび)彼は節子のやうな若い女の心が自分に向かって動いて来たことを不審に思ったか知れない」(同59節)「まだ彼は節子のやうな年少(としした)な女が自分に向かって彼女の柔らかな胸をひろげてみせたことを不審に思はずには居られなかった」(同67節)と不思議がり、「節ちゃん、お前は一体俺見たやうな人間の何処を好いと思ふ?」(同69節)「節ちゃん、俺は疾(と)うからお前に訊いて見たいと思って居たんだが、――お前の「創作」といふのは一体何時頃から始まったんだらう。お前の方が俺より早いこと丈は分ってる」(同94節)と聞きたださずにいられない。
平野は言う。「作者は(中略)『同族の関係なぞは最早この世の符牒であるかのように見えてきた。残るものは唯、人と人との真実がある許りのように成ってきた』と書いているが、すべて作者の思いちがいか誇張にすぎない。(中略)捨吉があれほど苦しんだ叔父、姪の関係なぞも、節子ははじめから苦もなく飛びこえていたまでのことである。」しかし、藤村=岸本が節子の気持ちに気づき、そのような思いを抱くことになったのは、「思いちがいか誇張」ではないだろう。
つまり、ここで描かれているのは、渡辺淳一の『失楽園』(適切な比較ではないかもしれないが)と同じ世界なのである。初老の男と若い女の不倫の恋。平野も「『新生』下巻には、この作者本来の芸術的稟質が比較的素直に流露している」と指摘しているように、藤村が描きたかったのは第2巻の内容なのである。(そのためには第1巻も書かれねばならなかった。)平野は「節子に対する捨吉の愛情の本質」を「愛情というより、むしろ性愛とよぶのがふさわしいもの」と断じている。確かに岸本と節子の関係は性を中核としている。しかし、今の私たちはそれを愛と呼ぶのを躊躇しないだろう。好きだのどうだのというのも所詮その程度のレベルにすぎない。岸本=藤村も、「何だか俺はよい年齢をして、中学生の為るやうなことを為てるやうな気して仕方がない」(同43節)と思いつつ、その陶酔の経験を作品化したいと望んだに違いない。
むしろ、藤村を批判すべきなのは、経験を即作品化しようとする心のあり方ではないだろうか。節子との関係に溺れながら、これは書ける、と冷ややかに観察する気持ちを持つような、「普通の人々は真心(ハアト)を持つ。我等は遂に真心の何者をも持たぬ」(同59節)という作家の業の自覚が働けば、『新生』は書かれなかったか、別の形になっていたのではないか。
藤村が「これは書ける」と思ったとき、節子への執着は克服されていたのであろう。「捨吉は節子の肉体を隅々まで知りつくし」(平野)、もはやその魅力に捕われなくなったので手を切ろうとしている。藤村のその気持ちが作品に現れてしまっているのは、藤村の不覚なのか、彼の記録に対する誠実さのゆえなのかは分からないが。