飛行機が墜ちる
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宝塚市立図書館では年に一度廃棄図書を無料配布している。今年も十一月に行われ、私は何冊かを貰ってきた。その中に山本善明『墜落の背景 日航機はなぜ落ちたか』(講談社、1999年)があった。上下二冊になっていて、表紙の写真は、上は羽田沖、下は御巣鷹山の墜落現場であった。私は御巣鷹山の事故に興味があったのでその本を選んだ。しかし、読んでみると羽田沖事故が中心になっていて、御巣鷹山事故に言及された部分はわずかであった。ただし、教えられるところは多く、そのことは後述する。
同じときに『墜落か生還か 緊急事態発生』(スタンリー・スチュワート著、十亀洋訳、講談社、2000年)という本も手に入れたが、こちらは乗務員の冷静な判断と卓越した技術で事故に対処したエピソードが集められている。ジェット機は全てのエンジンが止まれば石のように落ちて行くと思っていたが、しばらくは(ジャンボでも20分ほど)滑空飛行ができることも初めて知った。むろん、取り上げられているのは生還したケースのみで、同様な事故であっても(あるいは違うケースでは)墜落した機がたくさんあったに違いない。読んでいて、御巣鷹山事故のことが気になった。この事故機が操縦不能になったことに乗務員が最後まで気がついていなかったという記述を、どこかで見かけた記憶があったからだ。乗務員には酷かもしれないが、墜落を避けるチャンスがあったのではないか。
1985年8月12日の日航ジャンボ機(ボーイング747型機)墜落事故を扱った本は多いが、私が以前に部分的に読んでいたのは『壊れた尾翼』(加藤完一郎、技報堂出版、1987年)だったらしい。この本には以下の記述がある。
事故後、私のみるところ、かなりの乗員がシミュレータ訓練のおりなど、四系統の油圧を切って飛んでいる。体験者の一人の話をお聞かせしよう。「そのとき操縦が効いていないことはもちろん知っています。しかし気がつくと、必死にコントロールしているのです。飛行機が運動をはじめると、どうしても操縦桿を動かしてしまうんですよ」
同様のことは、航空宇宙技術研究所で実験機を使って事故を再現したときにも起こった。また、この実験で機体に意図的に擾乱を与えたとき(電気信号を使って容易にできる)、操縦者にはそれがいかにも舵が効いているように感じられたという。
事故機の場合、操縦者は最後まで操縦輪とペダルの操作をつづけている。冷酷な言い方をすれば、彼らは舵が効いていないことに最後まで気づかなかった‥‥‥。(中略)
油圧がなければ舵が効かないことは、B-747の乗員なら誰でも知っている。しかし、油圧がなくても、ほんのわずかながら舵が効いていると思うのはむしろ自然と思う。風や、左右エンジンのわずかな非対称などから生じる擾乱は、舵の動きと区別できない。(中略)
しかし、あえて個人的見解を述べれば、乗員が、舵が効いていない点に気づいてほしかったと思う。ジェット・パイロットはみな、少なくとも一〇〇〇人に一人の競争をくぐりぬけてきた逸材である。いつ、いかなるときであれ、万能かつ冷静であってほしい。――たとえ助かる可能性がなくとも。また、そういうときにこそ。
緊急時こそパイロットが真の力を発揮すべきときである。彼らはこのために高禄を食んでいるのだ。私はそう思っている。
事故機は後部圧力隔壁の破裂により全油圧系統が破壊されて姿勢制御が不可能になり、また垂直尾翼の大部分を失った。その結果どうなったかをこの本は解説しているが複雑で、結果だけ言えば「どの方向に向かって飛ぶかは、神のみぞ知る。(中略)焼津を通ったのも青梅に向かったのも、また三国山に向きを変えたのもパイロットの意志によるものではない。我われは気まぐれなスパイラル・モードの痕跡をみているにすぎない。/誰が言い出したか知れないが、『糸の切れた凧』とは、この意味ではまことに的を射た表現であった」。
しかし、事故機が全くコントロール不可能であったわけではないようだ。ボーイングのシミュレータで事故機と同様の状況を経験した一人は著者に概略次のように述べた。「飛べる、着地もできる。推力微調整で旋回もできる。ただし、つぎのことを前提とする。/低高度であること(空気密度が大きいことの意)、事故機の状況を熟知していること、使えるのは推力とフラップしかないことを承知していること。/低高度、脚下げで適度にフラップを出せばよい。フラップを出すと最初頭を上げ、しだいに下降に移る。一八〇ノット付近でつり合ったと記憶する。この状態なら、ダッチロール、長周期ともほうっておけば止まる。なにもしなければよい。(後略)」。ただし、このような操作は練習して熟達しなければ不可能に近いようだ。
事故機の操縦について私が興味を持ったのは、人間がどのように因果関係について認知できるか(あるいは誤解するか)を示す一例であると思ったからだ。ある現象(あるいは行動)の後に他の現象が起こり、それが何度も再現すると、二つの現象(あるいはある行動とある現象)の間に因果関係があると私たちは思い込む。これは科学的な態度というわけではなく、むしろ本能的な態度である。再現が必ずしも起こらなくても、私たちは因果関係を否定したりはしない。ときどき起こることで十分なのだ。行動主義心理学の実験でも、必ず成果が伴う行動より、ランダムに成果が伴う行動の方が強化されやすいことが示されるが、これはハトやネズミに限ったことではない。事故機の乗員たちも、自分のとった操作が期待していたような機の動きを伴うことがたまにあったとすれば、そこに因果関係(操縦可能性)を見てしまっただろう。
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ところで、『壊れた尾翼』は雫石事故についても触れている。1971年7月30日、全日空ボーイング727型機と航空自衛隊F86機が雫石上空で接触し、両機とも墜落した事故である。全日空機は尾翼全てを失って垂直降下し空中分解したとされている。しかし、著者は同機のフライト・レコーダーの分析、機の残骸の散布状況などから、接触事故で失ったのは左水平尾翼のみであり、事故機は即座にダイブ状態に入ったのではなく、しばらく(約13秒間)は水平飛行を保っていたと推測する。事故の直後、操縦士はとっさに操縦輪を引いたが、残っていた左水平尾翼がねじれて逆に頭下げモーメントを発生(昇降舵逆効き)して、機首が下がった。操縦士は機首を立て直そうとしてなおも操縦輪をひくが、そのことがますます機首を下げ、機はダイブしていき、墜落してしまう。そのように事故を解釈する著者は「もしあのとき、操縦輪を少しゆるめていたら‥‥‥。もしあのとき、一か八かで操縦輪を押していたら‥‥‥」と想像するのである。
著者は英国映画『超音ジェット機』を思い出すと言っている。著者の説明する内容とは食い違いがあるが、『ザ・ライト・スタッフ』(トム・ウルフ著、中野圭二・加藤弘和訳、中央公論社、1983年)にもこの映画のことが触れられている。
一九五二年に「音の壁」というラルフ・リチャードソン主演のイギリス映画がアメリカで封切られたが、その宣伝係は実際に音の壁を破った男、アメリカ空軍少佐チャールズ・E・イエーガーをアメリカでのプレミアム・ショーに招待するというすばらしいことを思いついた。空軍はこれを了承し、イエーガーはこの特別封切に姿をあらわした。映画を見て、彼は呆気にとられた。画面にうつされていることが信じられなかった。映画はチャールズ・E・イエーガーの功績をもとにしたものではなく、父親の設計したDH108にのって音の壁に挑戦して死んだジェフリー・ド・ハヴィランドに着想を得たものであった。映画の結末で一人のイギリス人パイロットがエンジンを掛けたままの動力急降下をしその重大な瞬間に操縦桿を逆に操作することによって「音の壁」の謎を解決する。激震のために機体はいまにもばらばらに分解しそうだ。墜落を避けるために、理論的にはどう考えても操縦桿を手前にひかなくてはならない。だがパイロットは前に押したおす‥‥‥するとどうだ!ふたたび機体は完全に制御をとりもどし、一気にまるで鳥が飛ぶようになめらかにマッハ一の壁をつきぬけていく。
「音の壁」は飛行機もののなかでは、もっとも面白い映画の一つにかぞえられている。一見実にうまくリアリスティックに描かれていて、この映画をみた人たちは、二つのことを信じた。つまり、音の壁を最初に破ったのはイギリス人であり、マッハ一に近いスピードに達したときに操縦桿を逆に操作することによって成功したのだ、という二つである。
私たちの信念がいかに(ある場合は間違って)形成されるかという一つの例として、私はこのエピソードを記憶していた。通常のことが通用しない状況では逆のことをすればうまくいくという物語は、私たちには受け入れやすいようになっているらしい。だが、そのことが必ずしも虚偽ではないとしたら、話はややこしいことになる。『壊れた尾翼』の著者は、「映画はこれを胴体の剛性不足による舵の逆効きとして説明している(実話ではないと思う)」と書いている。単なる作り話ではなく、科学的根拠に基づいた創作と考えているわけだ。私もこの映画をテレビで見た記憶があるが、映画の製作者がそこまで考えてはいなかったように思う。しかし、どちらにしろ、物事というのは複雑で、一筋縄ではいかないようだ。
3
さて、最初に戻って、『墜落の背景』について。著者は日航の職員だったがパイロットではなく、総務、法務、業務などの運航を支える部署に勤務し、羽田沖事故の後新設された運航乗員健康管理部の部長になる。それ以前から数々の航空事故に関わり、さらに運航乗務員の健康管理(つまりは飛ばせてよいかどうかを判断する)の部署長としての経験から、事故対策に関する様々な問題点を指摘している。羽田沖事故は機長が統合失調症(当時は精神分裂病)であったことによる人為的なものであったことから、それ以後当時の運輸省が資格検査を厳しくしたため日航から大量の不合格者を出していた。著者は、この「羹に懲りて膾を吹く」的な処置の是正に取り組み、また事故の風化によって安全より労務対策を重視するようになる重役とも対立しながら、安全運航のために奮闘する。著者のように社内政治を無視して業務の改革に励もうとする真に有能な人間は組織では疎まれるものである。その無念の思いがこの本にはこめられている。残念ながら、その影響力は限られているだろう。人は言葉では動かないものであるから。
私が著者に特に共感するのは、定番化した安全対策は、対外的なアッピールとして好まれるが、事故を防ぐにはあまり役に立たないという点の指摘である。著者があげるそのような対策(5項目)の標題だけを記すと、①マニュアル・規定類の改定、整備、②組織の新設または格上げ、③関係組織への人員の増配置、④関係職員に対する安全確保のための教育、講習会の実施、⑤安全確保のための検査機器などの物品を関係組織へ配備する、である。このことは私の勤務経験からも実感できる。資源(時間、労力、資金)をつぎ込んだからといって成果があがることは保障されない。著者も言うように、結局は人間なのだ。人間の意識を変えるのは性格を変えるのと同じくらい困難だから、最初から意識のある人間(有能な人間)を担当させるしかない。しかし、そういう人間は貴重なほど少ないのが現実なのだ。
それは操縦士の技能についても言えることだろう。著者に対して運航本部長が次のように言い、著者も同感している。「今の航空機の安全は、操縦するパイロットの腕にかかってくるところが大なのだ。腕のいいパイロットを養成するためには、どうすればいいか知ってるかい?訓練時間を最小にして、それでパスした者だけをパイロットにすればいいんだよ。このことは第二次世界大戦のアメリカのデータでちゃんと証明されているんだ。戦略上の航空機の重要性にいち早く気づいたアメリカは、かなりの訓練時間を費やして大量のパイロットを養成した。ところが実戦に出すと、次々に撃墜されるありさま。そこで、今度は訓練時間を最小にして、それにパスした者だけを実戦に出すと、実に見事な戦果をあげてというわけなんだ。(中略)素質のない者でも、時間をかけて反復練習を積めば飛べるようにはなるが、いざというときのフォローができないんだ」。
今後飛行機に乗らねばならなくなるようなことになれば、優秀なパイロットに当たるように願うしかない。