芥川の作品二つ
1
芥川龍之介の『トロッコ』は、小学校の教科書に載っていたので読んだ。あらすじは、良平という少年(8歳)が、鉄道工事のためのトロッコに乗せてもらって、いつか引き返すだろうと思っているうちに、よほど遠いところへ来て、彼だけが引き返さねばならぬことになり、夢中で歩いて帰り、家にたどり着いてからそれまでの不安な気持ちを吐き出すように泣きだしてしまう、というものである。
主人公の少年が不審な思いを言い出せずに土工たちについて行ってしまうときの気持ちは、人見知りするたちだった私にはよく分かった。しかし、少年がようやく家へ戻れてから泣き出してしまうというのは理解できなかった。安心できる状態になれたのだから泣くことはないではないかと不思議だったのである。そういう微妙な心情が分かるようになったのはずっと後年になってからだ。
その後『トロッコ』を再読することはなかった。別に難しい作品ではなく、短いからストーリーは記憶に残っている。もう一度読んでみる必要は感じなかった。それから何十年とたって、たまたま本屋で文庫本の芥川の短編集を見かけ、なつかしい思いで手にとってパラパラとめくってみた。『トロッコ』もあったので飛ばし読みしていると、最後の文章に行き当たり、まさに愕然とした。こんな文章には憶えはない。私が読んだ『トロッコ』にはなかった。少年が泣き続けるところで終っていた。
その文章とはこういうものだ。
良平は二十六の年、妻子と一しょに東京に出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握ってゐる。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のやうに、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すぢ断続してゐる。‥‥‥
私の間違いだろうか。小学生の私には異質の生活感だったゆえに記憶から脱落させてしまったのだろうか。そうではあるまい。推察するに、小学生に理解させるには難しすぎる感情だろうと、教科書の編集者が削ってしまったのではないか。
この文章がないのとあるのとではどう違うだろうか。ない場合は、少年の体験談であり、そこに冒険や不安はあるが、陰りはない。少年の日々は完結しており、未来からの干渉は排除されている。この文章がある場合は、回想という要素が加わって、少年の日々が外部からの操作を受けるようになってしまっている。この文脈では象徴化がなされているようだ。そして、回想する時点での陰りが少年の日にまで延びている。
どちらが優れているかとか、感動において効果的かというような設問は成立しないであろう。芥川が作品を作ったのであり、選択があったとすれば彼が選んだのだから。
しかし、こざかしい編集者は、はるか遠くから不思議な設問を私に投げかけた。この文章があった方がいいのか、ない方がよかったのか。私は迷う。大人としての私は、少年の日々を今の自分につながるものとして取り込みたい気持ちはある。一方、少年の日は未来などのつけ入るすきのない、それ自体で完成している存在なのだ。少年の日々の中に未来の萌芽を探し出すことはできるだろう。だが、だからどうなのだ。そんなことが過去の完全性を脅かしはしないのだから。
私にとって『トロッコ』は二つの作品になっている。
2
芥川の作品についてはもう一つ、『秋山圖』について、最初読んだときからずっと気になっていることがあった。中国の清代の話である。出てくるのはみな画家である。王石谷が惲南田を訪ねた折に、元代の画家黄大癡の作品「秋山圖」にまつわる次のようなエピソードを話す。王石谷の先生である煙谷が、人に勧められて潤州の張氏の保有する「秋山圖」を見、感嘆して手に入れようとするが果たせなかった。五十年後、権勢家である王氏が張氏の子孫から「秋山圖」を譲り受けたと聞いて、王石谷は見せてもらうのだが、煙谷から聞いていたほど感心しない。後から来た煙谷も、以前に見たのとは違うという素振りで、王石谷にもらす。「まるで万事が夢のやうです。事によるとあの張家の主人は、狐仙か何かだったかもしれませんよ。」
作品の最後は次のような会話で締めくくられている。
「その後王氏も熱心に、いろいろ尋ねて見たさうですが、やはり癡翁の秋山圖と云へば、あれ以外に張氏も知らなかったさうです。ですから昔煙谷先生が見られたと云ふ秋山圖は、今でも何処かに隠れてゐるか、或はそれが先生の記憶の間違ひに過ぎないのか、どちらとも私にはわかりません。まさか先生が張氏の家へ、秋山圖を見に行かれた事が、全体幻でもありますまいし、――」
「しかし、煙谷先生の心の中には、その怪しい秋山圖が、はっきり残ってゐるのでせう。それからあなたの心の中にも、――」
「山石の青緑だの紅葉の硃の色だのは、今でもありありと見えるやうです。」
「では秋山圖がないにしても、憾む所はないではありませんか?」
惲王の両大家は、掌を拊って一笑した。
この会話でおかしいのは、王石谷は問題の秋山圖は見ておらず、ただ煙谷から話を聞いているだけなのに、「今でもありありと見えるやうです」と言っていることである。これはどういうことなのだろうか。芥川は自分の作った物語の構成を失念していたのだろうか。それは考えられない。では、煙谷から言葉で説明を受けただけで王石谷はその絵を視覚的に再現し得たというつもりだろうか。それは説得力がない。
この作品の要は「では秋山圖がないにしても、憾む所はないではありませんか?」という落とし所にある。この言葉を持ってくるためにはその前に「今でもありありと見えるやうです」という言葉が必要なのだ。だから、本当は惲南田と煙谷の会話であるべきである。しかし、煙谷の体験談では作品の構成としては面白くないし、あるいは歴史的事実や原典に関しての理由があるのかもしれない。
つまり、王石谷が煙谷の不思議な体験にまつわるエピソードを惲南田に話すというこの作品の構成が、落とし所を作るのに無理をきたしているのである。それでも芥川は強引に仕上げてしまったのだろうか。誰か適当な説明ができる人がいたら教えてほしいのだが。