六〇年代のこころ
フクシマでは一向に冷えない燃料棒に水を注ぎ続けている。隣国とは領土問題でもめ、国会はねじれて機能せず(その後、多数派の思うがままになり)、自称救世主があふれ、すべての学校でいじめが蔓延しているような報道が続き、鼻つまみが弱い人間を殺しまくっていたような事件が発覚し、夢中になれるのはタッチパネルを操作するときだけのような日常、気がつけば日本がトップランナーになっていたグローバルなデフレ状況。こういう世界で正気を保っているのが不思議な気がする。
いつの時代にも問題はあったはずなのに、いまのこの閉塞感はなぜなのだろう。世の中がよい方に変わることに期待が持てた時代、何らかの形でそのことに寄与できる、少なくとも参加できると信じられた時代もあったのだ。スティーブン・キングの『アトランティスのこころ』(1999年、白石朗訳、新潮文庫、2002年)を再読してそう思った。
私も忘れかけていたのだが、60年代の特徴を一言で言い表せば「反体制」であろう。使い古されてしまって今では何のインパクトもなく、むしろ聞かされる方が恥ずかしくなるくらいで、せいぜい独裁国家での権力移行の際に利用されるだけの言葉になってしまっているけれども。
『アトランティスのこころ』の登場人物たちと私は同世代であり、ということは当然のことながら同時代人であることに、うかつなことに今ごろ気がついた。彼らの生まれたのは1949年(昭和24年)頃であり、大学へ入学したのは1966年(昭和41年)である。私たちの学生時代にもベトナム反戦運動があり、学園紛争というのもあった。ただし、日本とアメリカでは共産主義をどう捕えるかで事情が違っており、日本ではそれが新しい体制の具体化されたイメージとしてあった(それだけ後に幻想が崩壊したショックが大きかったかもしれない)。
しかし、反体制という生き方が希望を持たせてくれた時期があったのは共通しているだろう。反体制の内実は、思い切って簡略化して言えば、自由と連帯だったと思う。非日常的な体験として、それは実現した。しかし、それを日常的なものとして維持しうるためには体制にしなければならないのだった。反体制の体制化、そういう矛盾を乗り越えねばならなかったのに、それだけの忍耐も執拗さも持ち合わせてはいなかった。その矛盾の解消は反体制の立場を捨て去ることでしかなしえなかった。それが楽だったとは言えないだろう。その時期を生きた人々がその体験を処理するのはたやすいことではなかった。あるいは、単純に忘れ去ってしまった方が簡単だった。いずれにせよ、経験から学ぶ――そういうことがあるのであれば、私たちは次のことを知ったはずだ。自由と連帯、この二つは相反する――しかし、この二つはお互いに相手がいなければ(単独では)最悪のものになってしまう。
『アトランティスのこころ』は五つの物語からなっており、それぞれが独立しながら登場人物たちの共有された過去によってつながっている。二つ目の物語である「一九六六年 アトランティスのハーツ」には、メイン州立大学の寮でハーツというトランプゲームがはやり、それにのめり込んだ学生が次々に退学を余儀なくされていく(彼らの多くが奨学金やローンで学費をやりくりしていて、落第すればそれが打ち切りになってしまう)という状況が描かれている。似たようなことが私たちにもあった。私たちが夢中になったのは麻雀である。学校には来るものの、メンバーが集まれば授業は受けずに大学の近くの雀荘で一日過ごすという学生が多くいた。ほとんどの学生はそれでも何とか試験を切り抜けたが、私の知っているだけでも数人は落第した(教養から専門に上がるときに落第があった)。二十年ほど後に、ある中堅化学会社が財テクの失敗をしたというニュースで、責任者の常務がそのような学生のうちの一人だったのに驚かされた(常務という地位は親の縁故のゆえらしかった)。1000億円もの債権の先物取引で300億円ほどの損失を出したらしいが、債権市場が下落するまではかなり儲けていたようだ。学生時代の麻雀癖とその投資行動とに何らかの関係があったのかどうかは分からない。
「一九六六年 アトランティスのハーツ」では、語り手のピート・ライリーと友人のスキップ・カークが何とかこの泥沼から抜け出すのだが、そのきっかけとなったのはストーク・ジョーンズという同じ寮の学生の災難だった。非社交的な身体障害者であるジョーンズは、保守的な大学の中でベトナム反戦の宣言を壁に書き、直後に雨中で転倒する。それを寮の中から見ていたハーツ仲間(ジョーンズはそこには入っていない)の学生たちは大笑いするのだが、彼が水溜りの中で溺れかけたので助け上げて医務室に運び、また大学側の処分から彼を守るために一時的に団結する。通常の物語の展開であれば、そのことでジョーンズと他の学生たちに連帯感が生まれることになるのだろうが、キングはそういう友情物語にはしないで、そこからそれぞれの人生に発散していく直前の集束点としてのエピソードにしている。
他の物語も含めて、登場人物たちは挫折感を抱いて人生の終盤にいたる。心臓発作で倒れたスキップ・カークは見舞いに来たピート・ライリーに言うのだ、「いいか、それだけは忘れるんじゃないぞ、ピート。おれたちは努力したんだ」と。世間的にはある程度の成功はし、成功とはいかなくてもまあまあの暮らしはしている。しかし、それはあの頃に夢見たようなものではなかった、望んだようにはならなかった。あの頃には世界が変わるだろうと思えたのだ。確かに世界は変わったかもしれない。しかし、思わぬ方向に。それはちょうどテクノロジーの世界で起こったことに似ている。パソコンは世界を変えると言われ、そう思われていた。しかし、その期待はスマートフォンの普及という結果に終わった。
市場が席巻して壊れるべきものを壊してしまったのである。あるいは壊すべきではなかったものをも。もたらされたのは、資本主義+民主主義という定式は変えられないというあきらめ、できるのは微調整だけであり、それができるのは為政者でしかないという達観。もはや反体制は、独裁国家以外では何の魅力も持っていない。改革が行われるとすれば、体制内においてである。それゆえ、私たちは変えるべきなのか守るべきなのか、よく分からないでいる。そして、変えるにせ守るにせよ、自らの手には負えないと思うので、国家に助けを求めるのだ。というより、どうしていいか分からないので、何とかしろと国家に泣きつくのだ。国家を信頼しているのでもないのに。世界は、社会は、国家によってしか変えられないのであろうか。むしろ、国家でさえも変えられないと悟るべきであろうか。
ところで、このような閉塞感は通時的でもあり共時的でもある。つまり、歴史的、地域的であると同時に普遍的であるのだ。高度成長・黄金時代が終わってしまったこと、バブルとその崩壊、そして消えてしまった青春の可能性。
私たちはカウンセリングを受けるべきなのかもしれない。私たちは、自分たちがなるべきものになっていない、自分たちの真価が発揮されていないということに悩んでいる。しかし、現にそうあるもの以外のあるべきものというのは思い込みにすぎないのであって、現にそうあるものが真にあるものなのだ、とカウンセラーは指摘するだろう。その診断は適切なものである。しかし、適切であることがやりやすいこととは限らないのもまた真実であるのだが。