走る凶器
テクノロジーの進歩にはとうてい小説は追いつけない。携帯電話がこんなに普及するなんて、SF作家だって予想しえなかった。何かの装置を使ったトリックはすぐに古びてしまう。車の鍵にしてもそうだ。今ではリモコンキーは当たり前、イモビライザーとかインテリジェントキーなんてものも出てきている。この話はそんなものがなかった時代、エンジンキーをドアの鍵穴に差し込んでいた時代のことである。
1
誰だって、一度ぐらいは、ある人間を殺したいと思ったことはあるはずだ。一度だけではないかもしれない。そういう思いを実行にまで移さないのは、あなたの道徳心があなたを諭すからだろう。あるいは、あなたの理性がことの重大さに比して得られる満足のつまらなさを説得するからかもしれない。それでもあなたがひるまない場合を想定して、刑罰というものが用意されている。刑罰はあなたが犯罪を思いとどまるための強い支えになる。ただし、あなたの犯行が知られることを前提にした場合の話だが。あなたの犯行を他人が知ることが難しいのが分かっているなら、刑罰の脅しはあまり助けにはならない。そういう状況では、あなたの良心や理性でさえも、他人があなたに課す不当な刑罰を避けるのは当然と思い込んでしまうかもしれない。強い動機があって、犯行が見つからないような方法を手にしていれば、それをやらないでおくということは非常に困難なことではないだろうか。
2
私はセールスマンである。仕事には車を使う。私の属する営業所には同じ型の営業用の車がたくさんあって、セールスマン一人ひとりにあてがっている。あるとき、私の車を含めた数台の車が更新になって、新車が入ってきた。私は新たに与えられた車に乗ってセールスに出かけようとした。ところが車が見当たらない。残っているのは休んでいる者や出遅れている者の数台だけである。新車も一台残っているが、プレート番号は私の車のものではない。その車は同僚のものだ。その同僚は既に出かけたはずだ。もしやと思って鍵をさしてみる。鍵は回り、ドアが開いた。
最初、鍵を間違えたのではないかと思った。しかし、納車の際に鍵は合わせたし、その後鍵を取り違えるような状況はなかった。考えられるのはただ一つ、二台の車の鍵が共通しているということだ。私は取りあえずその車に乗ってセールスに出かけた。夕刻、皆がセールスから帰って来てから、私は同僚の乗っていってしまった車が私のものであることを確かめた。彼に鍵の不思議を話したが、へえ、そうかい、というぐらいの興味しか示さなかった。どっちにしろいいじゃないか、俺がお前の車に乗っていっても、お前には俺の車があるんだから、そう彼は言った。彼は彼のミスを私が責めていると思ったようだ。私はこの不思議な現象についての驚きを共有してほしかっただけなのだが。
同僚との話は今後の乗り違いにお互いに気をつけようでケリをつけ、私は一人で考えた。これは自動車会社のミスではないだろう。何十万台と生産されている車の全てに違う鍵をつけることはコストがかかりすぎるし、実際的でもない。ランダムに、あるいは地域を考慮してバラまけば、同じ鍵の車に出くわすことはめったにない。たとえそういうことがあっても、自分のではない車に鍵を突っ込む者などいない。型や色はむろんのこと、装備や内装の違いや、車体に刻まれた歴史が識別を容易にしているだろうから、わざわざナンバープレートを見なくても人の車と自分の車を間違えようがない。だから、今度のようなことが起こるのは全く稀なことなのだ。業務用だから色も型も内装も同じ。従来だってあわてているときなどは車を間違え、鍵が開かないことで間違いに気づくことがあった。新車だったら区別はほとんどつかない。そんな状況の中で、鍵の共通した車が一緒に納入されるということが起こった。
一体、車の鍵の種類はどの程度なのだろう。フランス映画で(アランかジャンかジャン・ポールが出ていたような映画だったと思うが)、盗もうとする車の運転席に座って、束になったキーを順番に試していく場面があった。そのときは、ヨーロッパの車は鍵の種類が少ないのかなと思った。アメリカ映画なら配線を直結してスターターをかけるのに、のんびりしているとも思った。
日本の車の鍵もあの程度なのかもしれない。私は面白半分に、自分の車(私有車)の鍵が誰かの車にも使えないか試してみることにした。むろんこれは度の過ぎたいたずらである。ヘタをすると車上狙いと間違えられる。それでも好奇心には勝てなかった。買い物や行楽などで駐車場に車を停めたとき、自分のと同じ型、同じ色の車を見かけると、辺りを見回して誰にも見られていないことを確かめ、その車の鍵穴に鍵を差し込んで回してみる。同じ型、同じ色の車にしたのは、見とがめられたとき間違えたと言い訳ができるからだ。もしそういう車を見つけたとしても、それで何をするつもりもなかった。ただそういう車があるという発見だけが目的だった。しかし、そういう車は見つからなかった。
私の探究はだんだん過激になってきた。いつも自分の車の鍵を持ち、機会があれば試してみる。仕事中でも車を物色した。出張の遠い都会でも探した。通勤の行き帰り、散歩しているときも目配りを忘れない。夜、ドライブに出かけ、人気のない駐車場を巡る。もう間違いだという言い訳はきかないが、試すのは同じ型、同じ色の車にした。そう制限しないと、しょっちゅう車の鍵をいじってしまうことになるので、見つかってしまう可能性が大きいからだ。
私の努力は報われた。ある日曜日、郊外のベッドタウンの同僚の家に招待され、酒を飲むので電車とバスで行き、帰りは下りの坂道を酔いをさましながら電車の駅までぶらぶら歩いた。途中、契約の駐車場がいくつもある。警戒しながら何台か当たってみた。石垣を組んだ大きな家に隠され、一方が崖になっていて、周りから死角になっている露天の駐車場で遂に見つけた。私の車の鍵が合う車。
私は急いでそこを離れた。ひょんなことで重大な機密を見てしまった人のように。知ってしまったということで自分の身に何か重大なことが起こるような恐れに取りつかれたかのように。
3
そのとき、私に殺したい人間が現れた。憎しみからか、欲望からか、詳しいことは省略しよう。とにかく私はそいつを殺すことに何の抵抗もなかった、ただ一つ、犯人として罰を受けること以外には。そして私は強力な凶器を持っていた。他人の車という誰にも見えない凶器。
交通事故では年間一万人近くが死んでいる。車で走っていると、交差点などに事故の目撃者への情報提供の呼び掛けの掲示がはってあるのをよく見かける。加害者が見つからない事故も結構あるようだ。もし、自分の車や盗難車などではなく、見も知らぬ他人の車が事故を起こしたのなら、誰が私を疑うだろうか。しかも車の持ち主自身でさえ事故のことを知らないのだから。
私は密かに見つけた車を監視した。夜には車は常に駐車場にあった。妻が遅くなった夫を(あるいはその逆を)駅まで迎えに行くことはなさそうだった。あるいは、年頃の子供が夜遅くまで車を乗り回すことも。そのことを確認した後、車に近づいて外観と内装を調べた。目立った傷はない。手入れはほどほど、日曜ごとにワックスをかけているような艶ではない。この車の持ち主は車に関しては淡白な趣味のようだ。装備は標準、アクセサリーはほとんどなし。たばこは吸っていない。似せるのは簡単だ。クッションやマットなどの動かせるものは積み換えればいい。走行距離は私の車より多いが、できるだけ合わせることはできる。車検済のワッペンやナンバープレートを交換するのは困難なので、その程度のリスクは仕方がない。
つまり、こう考えたのだ。この車を犯行に使う。その間、私の車を代わりに置いておく。そうすれば車が持ち出されたことは分からない。もし万が一車の持ち主が車を使うことになっても、車が交換されたとは気づかないのではないか。
犯行の対象の行動はおおよそ把握できたから、計画を立て、実行した。破損などによる大きな遺留品はなかった。フェンダーが少しへこんだが構わない。車の持ち主が気がついたら、不審に思い腹を立てながらも修理するだろう。残されたわずかな塗膜の破片が車種の特定に役立つかもしれないが、この車種のこの色はよく売れているのだ。汚れはコイン式の洗車場で落とした。ルミノール反応が出たとしても、それが私に結びつくことはない。元の場所に車を戻し、偽装したものを積み換え、私の車で去る。誰にも見られなかった。車が変わっていることに気がつかれた様子もない。
事故のことで警察が私を疑うことはなかった。あるいは私に知られないように調査をしたのかもしれない。どっちにしろ、私の車は潔白だった。私は車をそのままにして、いつものように使っていた。念のため廃車にしてしまう方がいいのだが、今は疑いを招くことになる。ほとぼりがさめるのを待って、車検のときか、あるいはコンクリートの塊にぶつけるような事故で壊してしまって、処分するつもりだった。
犯行から一月ほどたったある日、寝ようとしてベッドに入ったとき、その日一緒に飲みにいった職場の若い女性にCDを貸す約束をしたことを思い出した。このまま寝てしまったら、朝にはまた忘れているだろう。覚えていても朝のあわただしさの中ではたぶん取りに行く暇はない。CDは車に置いてある。その女性に下心があったので、面倒だが取りに行くことにした。駐車場は少し離れている。
車のドアを開けてCDを探す。ふと、何かが違う気がした。車体をよく見た。ナンバープレートが違っている。いや、車が違っているのだ。この車は、例の車だ。
犯行のとき、万一のことを考えて、二台の車の車検証はそのままにしておいた。あのとき、この車の持ち主が車が交換されていることに気づき、車検証を見たならば、私の住所が分かる。私の家の近辺を探せばたやすく私の車を見つけることができる。
この車の持ち主は私の車に乗って何をしているのだろう。私はふるえ出した。