井本喬作品集

藤村の青春

 私は藤村をまず詩人として知った。たぶん、教科書に載っていたのだろう。彼の詩集は読まなかったので、令名の割には作品を知らないが、いわゆる「人口に膾炙」する詩句はよく見聞きする。その中でも「小諸なる古城のほとり」「千曲川のほとりにて」は好きである。ところで、「千曲川のほとりにて」には、「昨日またかくてありけり/今日もまたかくてありなむ/この命なにを齷齪(あくせく)/明日をのみ思ひわづらふ」という著名な一連がある。しかし、この語句が何を意味しているかよく分からない。なるようにしかならないのだから、明日のことなどくよくよ思っても仕方がない、というのだろうか。そういう諦念の気持ちではなく、もっと積極的に「今日を生きよ」と自分に言い聞かせているのだろうか。いずれにせよ、「あくせく/明日をのみ思ひわずらふ」という語句は生活苦を思い起こさせてしまい、青春の憂愁を歌うにしてはひっかかるところがある。

 藤村の経歴については簡単な知識を得ていたが、最近、伊藤整の『日本文壇史』を読み、藤村に関する部分の記述が気になり、未読だった『桜の実の熟する時』を読んでみた。『春』や『家』などと読み合わせると、藤村が生活苦を嘆くのはもっともであったと納得した。

 ところで、『桜の実の熟する時』を読んで、藤村が自伝的作家と呼ばれることの理由が、うかつなことだが今更ながら分かった。『桜の実の熟する時』は『春』や『家』の後の作品だが、藤村の経験の時間的経過でいえば『桜の実の熟する時』、『春』、『家』、『新生』という順序になり、藤村の父親の伝記ともいえる『夜明け前』はそれらの前に位置する。藤村は、長編に類するものに関しては、最初の『破戒』以外にフィクションというものを書かなかったのである。

 ひところ、『破戒』から『春』への屈折、そこにおける『蒲団』の影響などが盛んに言われていたが、藤村の青春を思えば、『破戒』の成功の後に『春』を書いたことの必然性が分かるような気がする。回顧の余裕ができたとき、よくもまあ無事にという感慨を持たざるを得なかったのだろう。

 問題はそこから始まる。それ以降、自分を、また自分の縁者を、描くに値すると藤村が考えたのはなぜか。藤村自身がフィクションよりも自伝的な作品を書きやすいと思っただろうことは推測される。同時に、フィクションに疑問を抱く思潮(日本自然主義)が現われたことも支えとなったであろう。つまり、『破戒』とは違った方法(自伝的叙述)で、『破戒』においてなそうとした表現が可能であることを、『春』によって藤村は会得したのではないか。

 ただし、何の予備知識もなしに『春』を読むと、しっくりこない思いがする。彼の文章は分かりにくいところがある。十分に説明しきれていないというか、描ききれていないという感じがする。あえて隠しているのか、あるいは分かりきったことだから描く必要はないというのか。そのくせ、冗長であり省略してもいいようなことまで事細かに書き留めているのだ。

 『春』について伊藤整は、「『水彩画家』や『並木』のモデル問題で友人たちを怒らせた後でもあり、藤村は過去の事実を描き出すために現存の人々を刺激せぬようにと細心に気を配った。その結果この作品の描写は、全体として暗示的で曖昧に見え、直接読む人に訴えることが少なかった」と評している(『日本文壇史15』第7章)。

 とすれば、『家』において藤村が自らの親族を取り上げたのは、そういう制約から逃れたかったからとも考えられる。つまり、知人や友人には遠慮があるが、身内ならかまわないだろうという見通しによったのではないか。

 その是非は置くとして、なぜ藤村は事実にこだわったのだろう。ここからは私の妄想にすぎないが、虚構に基づく作品は批判にさらされやすいことを、藤村は『破戒』で思い知らされたのではないか。なぜそうでなければならないか、こうであってもいいはずだ、という批判に対し、原作者といえども決定的な反論はできない。虚構であるならどうにでも変形できるからだ。しかし、事実に基づく作品なら、事実がこうなっているから仕方がないと、批判をはねつけることができる。

 それゆえ、読者にしてみれば、作者の独断性、押しつけがましさが気に障る。これは描かれたことのもっともらしさ関することではない。藤村が描くのはフィクションではなく体験であるから、事実性について争いはない。しかし、体験がどのように客観化(対象化)されるかについて、藤村は自己の方法について疑問を抱かず、他人の容喙をゆるさないのだ。批判性の欠如というか、それが図々しさを感じさせる。ここでの批判性というのは描写の次元であって、生活の次元ではない。つまり、自分が作っていることの自覚とでもいえようか。むろん、藤村は自分が直接体験したのでないことも描いている。調査はしたであろうが、それで埋めきれないところは想像で補わねばならない。その場合でも、事実として妥当であるような風に描いているつもりなのだ。つまり、藤村においては自分にとっての事実こそが規範なのである。

 事実を基にしてフィクションを書くことはできるし、事実と異なっていようと小説という形式ではゆるされる。だから、小説の効果(評価)という観点に立てば、事実性などはどうでもいいことだ。しかし、藤村は事実を曲げることを自分に許さなかった。彼の叙述の真実性が事実によって支えられていると信じていたからだろう。藤村が『破戒』以外にフィクショナルな作品を書かなかったということは、この辺りに理由がありそうだ。

 若者たちが藤村の作品を敬遠したがるのは当然だろう。人生に面白いことなどない、生きることは楽しいことではない、苦労の連続だ、だから、明るく楽しいことを書くなんてことはできない、藤村はそう語り続けるのだ。しかも、藤村にはそういう人生を自らの志をあきらめることなく生き延びてきたという自負があり、そのような人生のあり方を否定するとか変革を目指そうとかいう気持ちはない。藤村が当時の人に受け入れられたのは、それなりの時代的背景があったと推測される。むろん、作家にはいろいろな人がいて、読者も種々あるのだから、藤村に共感できなければそれはそれでいいのだろう。

 文学理論的に藤村の作品の私小説性を批判することについて、私はある程度理解できるようになった。私たちが小説に求めようとするある重要な要素が藤村の作品には欠けているのだ。それは未来の不確実性とでもいうべきものだろうか。作品の中の藤村にとっては未来は未知であり予測不可能であるが、回顧して描いている藤村にとってはたどるべき道は決定づけられている。とはいえ、読者にとっては、登場人物の未来が未知であることは、他の物語と同じともいえる。違っているのは、未来は描き手としての藤村へ収束することが前提としてあることだ。

 だから、作家自身への興味がない読者は読みづらいだろう。しかし、歴史的観点からは、その私小説性が貴重になる。明治の青春が、藤村という個性において、いかに展開したのかが読み取れるからだ。むしろ、『桜の実の熟する時』や『春』をもとにしたテレビドラマなら受けるかもしれない。藤村の青春は、本人にしてみれば必死だったかもしれないが、第三者がみれば滑稽でもある。藤村自身がそう思えたならば、もっと違った作品になっていたに違いない。

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