井本喬作品集

啄木はまだ死なない

 伊藤整『日本文壇史』全17巻を読了した。最初のうちはちょっと我慢が必要だが、読み進めて行くうちに馴染みのある文学者たちが取り上げられるようになり、だんだんと面白くなっていく(もっとも、今の読者はどの文学者にも馴染みがないだろうが)。個々の文学者についての切れ切れの知識がつながり、さらに織り上げられて俯瞰図となる。特に私が興味を持ったのは、藤村と啄木だった。藤村や啄木に限らず、『日本文壇史』で取り上げられている人物は、それぞれ研究書や伝記などがあるはずで、それらを読めば知り得ることではあるが、そこまでする気にはなれないので、伊藤整がまとめてくれたのはありがたい。

 私は生活者としての藤村に感心している。しかも、ただの生活者ではなく、高名な文学者として成功した生活者なのである。伊藤整の文学理論を適用すれば、逃亡奴隷ではなく仮面紳士、破滅型ではなく調和型、求道者ではなく認識者に分類されるべきであろう。ただし、この分類のいずれにも藤村はうまく当てはまらない。

 そのネームバリューを利用したり感心したりする人々にとってはどうでもいいことだろうが、文学愛好者には藤村は評判が悪い。作品だけでなく、その私生活が嫌われるのだ。『破戒』を完成させるために三人の子供を犠牲にしたとか、姪との関係を清算するために『新生』を書いたとか、道徳的に非難されているのである。

 私も当初はそういう評価に影響されていた。しかし、したたかさがなければ藤村は文学者として成功しなかったろうし、また、したたかさというだけでは藤村は理解できないだろう。堅実さとうらはらな危うさ、それがあるからこそ藤村は文学者であり得たのだ。

 芥川が「狡猾な」と言って嫌った藤村。しかし、芥川が仰ぎ見なければならなかったのは、志賀直哉ではなく藤村であるべきだった。藤村はドン・キホーテ的な冒険者であると同時に、周到で厚顔で冷酷な実行者であった。精神的にも経済的にも何度も苦境に追い込まれたが、藤村はそれを乗り切り、しかも自分の業績を世間に認めさせた。藤村も啄木と同じように幾度か借金をしているが、啄木のように浪費的ではなく、生産的であると言ってよいものだった。

 一方、啄木は正反対である。最近(2016年9月16日)NHKテレビ番組『歴史秘話ヒストリア』で啄木を取り上げていた。一応、啄木が「ろくでなし」であることは言及してはいたが、彼の金銭感覚や女性漁りや親族との関係には触れず、妻節子との間柄についても甘い取り扱いをしていた。テレビの限界だろう。もちろん、伊藤整は手厳しい。

 私は啄木のようなだらしない人間は嫌いである。啄木のような真似は到底できない。そこには越えられぬ性格的限界というものがある。ただし、啄木と交渉のあった人々の中には彼に惹かれる者も少なからずいたようだ。謹厳実直な者にはない面白みのようなものが彼にはあったのかもしれない。彼の性格が彼の作品とどう関連したかは、複雑すぎて解明不能だ。

 私は啄木の『ココアのひと匙』が好きだが、ここで想定されているのはロシアのテロリストたちだと思っていた。しかし、うかつなことだが、『日本文壇史』を読んで、啄木がいわゆる大逆事件の詳細を関係筋から知り、それをきっかけに自らを社会主義者に変えていったことを、初めて知った。『ココアのひと匙』で歌われているのは大逆事件の被告たちでもあった。

 『日本文壇史16』では大逆事件についてかなり詳しく述べられている。ついでだが、被告の一人である宮下太吉が「明科の背後の大足山の谷間に入り、そこで、継子落しという川にのぞんだ崖ぷちで」爆裂弾を試したとあるが、安曇野市明科中川手大足と「ままこ落し」(北安曇郡池田町)は犀川をはさんで反対側にある。何かの誤りだろうか。

 啄木の生活がでたらめであれ、また社会主義との関係がどうであれ、彼の作品の質とは関係ないかもしれない。しかし、彼が失敗した生活者でなく、あるいは社会主義に無関心であったなら、彼の作品は現にあるのとは違ったものになっていたろう。啄木が啄木であったからこそ、彼の作品が生まれたのである。それを思うと、才能と人生の関係の不思議さを感じざるを得ない。

 啄木が死んだのは明治45年4月13日である。『日本文壇史』は明治43年まで至ったところで伊藤整の死によって中断してしまい、啄木の死までは行きついていない。

 文学者としての生き方については、伊藤整は自分は藤村に似ていると思っていたのではないだろうか。私は伊藤整の小説をあまり評価しないが(ただし、興味を持って読んでいる)、『日本文壇史』は文句なく面白い。これを小説とは言えないだろうが、こういう形で書けば彼の小説はもっと自由に展開(飛翔!)できたのではないかと思う。ただ、そうであると、伊藤整の作家的特質は虚構よりも事実描写にあるということになる。身辺を描いて私小説家に陥る危険を免れるには、史実に向かうしかないだろう。

 藤村の作品で私が一番好きなのはむろん『夜明け前』である。

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