生の認識と形式
梶井基次郎の作品を読んだのは、「城のある町にて」が松阪を描いていることを、『やちまた』(足立巻一)という本に教えられたからだ。だが、「城のある街にて」にはそこが松阪であることの必要性ない必然性は見当たらない。むろん、本居宣長についても触れられていない。その意味で失望したのだが、ついでに他の作品も読んでみた。
梶井基次郎の評価は一部で高いようだが、私はあまり興味がなく、「檸檬」を読んでいただけであった。彼については感覚が語られることが多いらしい。感覚といっても、文学作品であるから文章として表現されなければならない。その描写を語るには、感覚的な、感覚による、感覚されたものの、感覚することの、などの形容が考えられる。しかし、感覚に関わる描写が私たちをひきつけるのは、それがもたらす認識によってである。通常の(通俗的な)知的な操作では得られない稀有な認識。もしそれが知的な操作を越えるものであるなら、私には無縁であると思えたのだ。
今回彼の作品を読み進んでいくうちに、彼の中に技巧と思想があるのに気づいた。どのような作家にもそれはあると言えるが、彼の作品にはそれが強く出ている。しかもそれが作品ごとに繰り返されているのだ。意外なことだった。「Kの昇天——或いはKの溺死」が見やすいが、以下のように他にもみられる。
しかし私はこの山徑を散歩しそこを通りかかる度に自分の宿命について次のやうなことを考へないではゐられなかった。
「課せられてゐるのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なってゐる」(「筧の話」)
それは私が彼等の死を痛んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまふ気まぐれな條件があるやうな氣がしたからであった。私は其奴の幅廣い背を見たやうに思った。(「冬の蠅」)
それは人間のさうした喜びや悲しみを絶したある嚴粛な感情であった。彼が感じるだらうと思ってゐた「もののあはれ」という気持ちを超した、ある意力のある無常観であった。(「ある崖上の感情」)
しかし病氣といふものは決して學校の行事のやうに弱いそれに堪へることの出來ない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱蟲でもみんな同列にならばして嫌應なしに引摺ってゆく——といふことであった。(「のんきな患者」)
梶井基次郎論というものを読んでいないのでよく知らないのだが、たぶん、こんなことはとっくに誰かが指摘しているのだろう。いまさらそんなことに気づくのは間が抜けているのかもしれない。だが、一応私なりの意見を述べてみよう。
梶井基次郎の作品は、経験の中で気づいた「生」の意外性、そこからくる常とは違った角度の認識を描き出そうとしている。世界の新たな意味づけとでも言えるだろうか。そのような認識はありふれたものであるのかもしれない。しかし、彼はそのような自らの体験を普遍的な真理の追究として作品化した。だから、彼の作品は意外と理屈っぽい。作品の最後を理屈で締めくくってしまおうとする傾向が強い。あるいはその理屈を結論とするために作品が構成されているように思える。
これも既に指摘されていることだろうが、梶井基次郎の作品は「城崎にて」を思わせる。いや、「城崎にて」も、多くの作家による同じような種類の作品群の一つなのだろう。ただ、「城崎にて」は傑作である。
体験を並べただけのこの作品がなぜ傑作とされるのか。一部の批評家は志賀直哉が幸運だったからにすぎないと言う。稀有な体験をしたから、それを描いた作品が傑作になったというわけだ。しかし、稀有な体験を描いたとしても、それが優れた作品であることの保証にはならない。体験の取捨選択や、その意味解釈という加工が重要なのだ。批評家たちは志賀直哉の知的能力を馬鹿にしがちだが、そういう彼ら自身の批評能力を疑ってみるべきである。志賀直哉がただ単に、技巧なしに、体験を描いたなどとなぜ言えるのか。技巧の跡が見られないとすれば、技巧を技巧と見せない技があるからではないか。
体験の中に何か意味を見出そうとするのは平凡な試みである。その意味を他人に伝えようとするならば、経過としての体験の必然性が重要になる。その必然性を具体化する過程で、ある型が生じる。それは人々を納得させるのに効果的なのだが、繰り返されるとその技巧性が見透かされてしまう。
梶井基次郎の作品では同じ型が繰り返される。そうなると、その型に合うような体験が選ばれることになる。もっと言えば、その型に合うように体験が解釈されるようになる。技巧が先行して、体験を統制するようになってしまうのだ。
志賀直哉が優れているのは、同じ型を繰り返そうとしなかったことにあるのではないか。体験が何かを意味するとしても、諸体験が同じような意味を持つのかどうかは分からない。別の体験には別の意味と別の型があるのかもしれない。それならば、一つの型にはこだわる必要はない。ただ、梶井基次郎にはそんな余裕はなかったのだろう。
梶井基次郎の作品は、彼の鋭い感覚と、当時は不治の病とされていた結核に罹患しているという作者の状況が特徴とされているようである。ただし、彼はそのような個人的で特殊な視点によって、かえって(普通の人間には見えない)普遍的な真理を提示することができると思っていたのではないか。だから、その作品は読者の方を向いているのであり、謎解きのような構成になっているのである。
ところで、そこで得られた真理がいかに恐ろしいものであっても、人間は生き続けていかなければならない。そのような真理とは無関係に思える自分の生活と、知ったからにはもはや今までと同じようには生活できないはずだという論理的要請を、いかに折り合わせるか。しかし、梶井基次郎は真理にはあらがえないものだと言うばかりである。彼には未来はなかった。彼の得た真理はあきらめと納得を与えてくれたのかもしれない。
まあ、これは私の個人的な感想に過ぎない。もし流通している梶井基次郎像というものがあるのならば、それとは背反しているかもしれない。しかし、私の見たような要素が彼にあったのなら、今までとは違って、彼を親しく感じることができそうだ。