伊藤整と社会生物学
伊藤整が死んだのは1969年であり、E・O・ウィルソンの『人間の本性について』が発刊されたのは1978年(邦訳は岸由二訳、思索社、1980年)である。それが何の関係があるかといえば、関係がないことがこの文章の主題である。
伊藤整がこの本を読んでいたら喜んだだろうと私は想像する。ウィルソンの展開した理論は伊藤整の主張に強力な根拠を与えたはずである。利他的行動を利己的に(遺伝子にとってだが)説明できることを知ったなら、伊藤整は満腔の賛意を示したに違いない。しかし、伊藤整には知り得るべくもなかったし、彼の死後に彼の考えを社会生物学と結びつける人もいなかった。
ところで、社会生物学は日本ではどのように受け止められたのであろうか。『社会生物学論争』(ゲオルク・ブロイアー、垂水雄二訳、どうぶつ社、1988年)という本の訳者の後書きに次のようにある。
問題は、日本ではその導入にあたって、何ひとつ論争らしい論争が起こらなかったという点にある。社会生物学が欧米において激しい論争を巻き起こしたのは、それが単なる生物学の一分科にとどまるものではなく、人間の社会や倫理をも対象とするという意味では社会科学の領域へも踏み込むものだからであった。そこには、いくつか問われるべき基本的な疑問があり、それらは日本においても当然、問われるべきものだったはずである。
専門分野においては全面的な受け入れ、一般思想界では無視というのが日本での状況だったのだろうか。社会生物学論争については同じ訳者の『社会生物学論争史』(ウリカ・セーゲルストローレ、垂水雄二訳、みすず書房、2005年)が詳しい(訳書名が似ていてややこしいが、前記の『社会生物学論争』は、論争そのものを扱っているのではなく、社会生物学の概説が主である)。社会生物学論争発生時におけるウィルソンの立場として、ピンカーは「この戦場の上を、何も知らないE・O・ウィルソンが歩きまわった」と書いているが(『人間の本性を考える』、スティーブン・ピンカー、山下篤子訳、日本放送出版協会、2004年)、ウィルソンにはもっと複雑な背景があるようだ。
論争の経過は複雑に変転し、結局は社会生物学は幅広い認知を受けるようになったが、社会生物学という名前はあいまいに拡散し、あるいは意図的に忌避され、また、この分野におけるウィルソンの地位も中心的なものとは言えないようである。論争という点ではドーキンスの方が目立つ(対抗者側ではルウォンティンからグールドへ移った)。しかし、ここでは今ではいささか古めかしくなった『人間の本性について』で社会生物学を代表させることにしよう。
さて、伊藤整に戻って、彼と社会生物学の親近性を私は無邪気にも仮定したのであるが、はたして確かにそうだろうか。伊藤整がフロイトから影響を受けたのは間違いないであろうが(それがフロイトの正しい理解かは別にして)、その部分は修正をせまられることになる。ウィルソンは「攻撃」に関して以下のように言っている。
フロイトは、人間の行動を、絶えずはけ口を求める衝動の現れだと見做した。(中略)人間の示す暴力的な攻撃行動は、抑制作用の堰を周期的に破って流出する生得的衝動の現れだ、という見方も正しくないということである。このような見方は、フロイトやローレンツの創始したもので、“衝動—放出”モデルと呼ばれるが、これはすでに、遺伝的潜在性と学習の相互関係に基づいたもっと精密な説明に取って代わられているのである。
性についてはさらに「精密な説明」がなされる。衝動というものがやみくもな(ある意味で自足した)現象ではなく、適応度を上げるための利己的で計算高い行動を導くものであるという説明には、伊藤整は戸惑ったろう。そこまで利己性を徹底したのでは、衝動の持つ無垢性とでもいうもの(そこから文学を導き出そうとするロマン主義的傾向が伊藤整にはある)が失われてしまうからだ。もちろん行動主体はそんな計算を意識してはいない。行動主体は真の理由を知らずに操作されているのである。だからといって、それが慰めになるわけではない。伊藤整は主体が自らのエゴイズムを認識できるものと信じていた。エゴイズムからは逃れられないとしても、少なくとも知っているということは、主体性をぎりぎりのところで確保できると感じていた。しかし、自らのやっていることの理由を認識できず、しかも利己的であることの主体にもなり得ない(主体は遺伝子なのだ)というのでは、伊藤整には行き過ぎと思われたのではなかろうか。
それゆえ、伊藤整が社会生物学から何かを得たであろうとすれば、それは互恵的利他主義であったろう(むろん、それはウィルソンの創見でもないし、彼の特に強調したものでもない。ウィルソンは既にある様々な理論をとりまとめたのだ)。ウィルソンは『人間の本性について』の中で、利他主義を二つに分け、一つを血縁選択に基づく「芯の堅い」利他主義と呼んだ。
これに対してもう一つ、“芯の柔らかい”利他主義と呼ぶべきものがあり、こちらは本質的には利己的な行為である。この場合、“利他的行為者”は、社会が、彼自身あるいはそのごく近縁な親族に、お返しをしてくれることを期待しているからである。彼の善行は損得計算に基づいており、この計算は、しばしば完全に意識的な形で実行されている。彼は、うんざりする程複雑な、各種の社会的拘束や社会的要請をうまく活用しながら、あの手この手を行使するのである。
伊藤整はこの見解に同意したであろう。しかし、ウィルソンがそういう「事実」にあまり悲観していないことには違和感を持ったのではないか。伊藤整は人間行動の全てにエゴイズムを見ながら、そのことに悲観する自分自身については見逃している。エゴイズムをエゴイズムであるからといって否定的に見る自分がいるのはなぜなのかを徹底的に追求していないのだ。伊藤整がエゴイズムを肯定的に認識するのは、それが否定的な役割があるからなのだ。それゆえ、利己性を前提にして、そこから社会を構築し、未来を展望することはしない。社会生物学をめぐる論争に際することが出来たとしたら、伊藤整がどちらの側へ立ったのかを想定するのは難しそうだ。社会生物学への批判を正当なものと伊藤整は認めるであろうが、それは、そう批判される性格を持っていると認められる社会生物学こそ彼の支持するものであるからだ。
アングロサクソン系の思考の系譜の中には、社会を成り立たせているのは(利己的な)個人の自主的な営みであるという観念が継承されているらしい。政治学や経済学や社会学などの社会科学だけでなく、自然科学にたずさわる人にも表面には現れなくとも何らかの影響を与えているのではないだろうか。もちろん、ウィルソンが集団選択について往々にして不注意に語ることに見られるように、システムとしての社会が個人に支配力を及ぼすという考えも強力である。しかし、そういう考えには必ず反論が出るだろう。
私たちの社会では、利己的な行動は社会の秩序を乱すものとしてしかみなされない。しかし、社会の中で行われている個人の行動のほとんどは利己的なものであるが(たとえば売買は利己的な行動であろう)、反社会的になっているのはそのほんの一部にすぎない。利他的な行動と見なされているものも、互恵的利他行動と解釈されるものがある。義理とか恩とかいうものは、かつてなされた貸借契約の負債の部分であり、返済の行為が非利己的に見えるのである。まるで金銭貸借のようだとルース・ベネディクトはあきれたが、まさにその比喩は当たっている。そういう行動が普遍的なものであることにベネディクトは気がついていなかった。ベネディクトに指摘された私たちも気がついていなかった。『菊と刀』が私たちに衝撃的であったのは、私たちが利他的と見なしていたことが、実は利己的なものだと分析されてしまったからだ。互恵的利他主義の理論も同様の作用を私たちに及ぼす。驚くには当たらない。逆に、利己的行動だって利他的に解釈できないこともない。商行為でさえ互恵的利他主義と言えるのである。重要なのは、利己的であろうと利他的であろうと、それが社会を弱めているのではなく、維持しているということの評価づけなのだ。それは伊藤整には難しかったろうし、私たちにも難しいようである。
利己性で利他性の全てを説明することに、社会生物学は成功していないと私は思うが、いずれにせよ、伊藤整にとっては援護になったはずだ。とはいえ、社会生物学の日本での受容状況を見ると、その援護も大きなものではなかったのかもしれない。