さざれ石
さざれ石というのをいくつかの神社で見かけたことがある。最初に見たときはこじつけめいた感じがしたのだが、そういうように呼ばれている石の種類はあるらしい。「さざれいしの、いわほとなりて」の意味は、小さい石が寄り集まって岩となると教えられたような記憶があり、その途中経過の実物として扱われているのだろうか。
ところが、『お馬、ひんひん』(亀井孝、小出昌洋編、朝日新聞社、1998年)によると、「小石が成長して巨岩になるというふうな、すなわちまた、目のまえの巨岩もとおいむかしはひとつぶのまさごであったというふうな、そのような見かたで古代人が石に生命をみとめていた」と解釈されるらしい。つまり、小さな石が集まるのではなく、小さな石の一つ(ずつ)が成長して岩になるという意味らしい。さざれ石は小さな石のことである。この本ではこの言葉の解釈や変遷について興味あることが述べられている。「ざれ」が「じゃり」であると教えられて、登山道のある特定の場所がザレ場と呼ばれていることの理由が分かった。
それはそれとして、小石の寄り集まった(石灰質などが接着剤になっているらしい)ものがなぜさざれ石と呼ばれているのだろうか。石が単独で大きくなるならば、そのようなものの介在は必要ない。たぶん、石の成長ということを信じられなくなった人々が、合理的解釈をして、石が寄り集まって固められて岩になるという経過を新たに作り出したのだろう。高温高圧下ではそういうことがありうるはずだから。いわば、(擬)科学的な解釈を施すことで、素朴な疑問を封じようとしたのだろう。
だが、そんなことをすれば、もともとの言葉の持つ力を殺してしまうことになる。石が成長すると解釈することで、「さざれいしの、いわほとなりて」は本来の輝きを示すと、私は感じるのだが。