ガンの治療は有効か
私がガンの手術を受けたことを知った知人が、ガン治療に関する本を貸してくれた。そういう本には興味なかったが、せっかくの好意なので読んでみた。『がんを告知されたら読む本』(谷川啓司著、プレジデント社、2015年)、『がん常識の嘘』(渡辺亨著、朝日新聞出版、2006年)の二冊である。思いのほか参考になったが、両書ともいわゆる「近藤理論」を批判しているのが気になったので、本棚を探してみると、近藤誠著『患者よ、がんと闘うな』(1996年、文藝春秋)が出てきた。買ったのではなく、宝塚市立図書館の放出本を手に入れていたのだ。読んだのは一年ほど前で、そのときは当事者になるとは思ってもいなかったし、世間で近藤理論がどのように受け止めてられているかも知らなかったので、読み流していた。
近藤理論の問題点とされるのは、「がん」と「がんもどき」の区別についてだろう。ガンは転移するが、ガンモドキは転移しない。ただし、それとは別に、増殖の早い・遅いの区別も述べられているが、前者の区別との対応ははっきりしない。
近藤理論は、ガンは早期発見してもすでに転移しているから、発見した部位の治療をしても効果がないので、その部位の機能障害が起こるまで放置しておくように勧める。また、発見されたのがガンモドキなら転移しないので、同様に放置しておく。つまり、ガンが見つかっても、大部分の治療は意味がなく、手術や抗がん剤は副作用だけしかもたらさない場合が多いので、一部のガンを除いて、原則放置すべきと主張している(近藤氏は放射線科出身のせいか、放射線治療の効果は認めている)。
近藤氏の叙述は説得的であり、賛同する人が多いのはうなずける。また、この本で展開されているガン治療への批判は、当たっていることも多いのではないか。二十年前の本なので、その後の技術的・制度的変化はあるだろうが、ガン治療が試行錯誤的に行われているにもかかわらず、検診や治療の効果が大げさに喧伝されてきたのは事実のようだ。二十年以上も経っているのに近藤理論の影響力が失われてはいないのにはそれなりの理由があるのだろう。
しかし、だからと言って、近藤理論を鵜呑みにするわけにはいかない。近藤氏が批判している医師たちと同様に、不明なことに断定的であることで氏自身も批判からは免れない。上記の本には、近藤氏がデータを自分の都合よいように捻じ曲げて解釈しているという批判がある。
さて、ガンかガンモドキのどちらなのかは、結果的に転移するかどうかによるのだから、事前には分からない。だから治療をした後に転移がみられなくても、それがガンンモドキだったのなら、治療の効果とは言えない。つまり、治療によって転移が防げたということは証明ができないことになる。
これはガンとガンモドキが事前には区別できないが、その経過にはっきりした違いがあると前提しているからである。もし、たとえガンとガンモドキという二種があるとしても、一方から他方への変化がありうるとすれば、ガンモドキをガンにしないためとして、治療は正当化される。また、転移が早い段階で既に起こっているとしても、ガンがずっと転移の発生源であり続けるのであれば、リスクの軽減としての治療も正当化されるであろう。
ガンの症状の経過はいろいろあるので、治療の効果というのは、事前にも事後にも明確ではないようだ。早期ガンの治療は、ガンを治すというのではなくて、転移のリスクを軽減するというのが目指されているのだろう。
上記の二冊の本の叙述では、ガンを治そうとするのではなく、ガンとともに生きることを目指すべきだとある。ガンになっても、その進行をできるだけ遅くし、その症状をできるだけ軽くして、寿命がくるまでガン死を引き延ばそうとするのである。しかも、単に生存期間を長くするというのではなく、その間のQOL(生活の質)をできるだけ維持するようにしていく。それぞれの治療のメリットとデメリットを比較し、デメリットの方が大きければその治療は避けるという決断も必要である。いまではこのような認識が医療の現場でも一般化しているようだ。医療の経験の積み重ねの結果であるのだろうが、そのような認識の形成に近藤氏による批判が何らかの役割を果たしたのではないだろうか。