奇妙な友情
ひょんなことから、A.ボスゲッティの『知識人の覇権』(1985年、石崎春己訳、新評論、1987年)を読み返してみた。そこに述べられていたサルトルとメルロ=ポンティの関係が興味深かったので、メルロ=ポンティの『弁証法の冒険』(1955年、滝浦静雄・木田元・田島節夫・市川浩共訳、みすず書房、1972年)を読んだ。遅ればせながら、マルクス主義と関連づけることで、サルトルの思想の特質の理解に役立つことを教えられた。
メルロ=ポンティは、共産主義とサルトルの思想の類似点として、自らが道徳的であるという確信の独善性を指摘している。サルトルが共産主義に共感したのは、道徳の追求という要素をそこに見出し、対自存在の投企と重ね合わせたから、というメルロ=ポンティの見方には説得力がある。
一方で、メルロ=ポンティは革命の「激昂」を政治の「制度」と対比させている。そして、激昂も主観的な道徳も現実的な政治をもたらすことはできず、不毛で不誠実な結果をもたらすにすぎない、と言う。しかし、道徳と激昂との関係については何も述べられていないので、サルトルの道徳と革命の激昂がどう関わっているのかは分からない。サルトルは革命の実行者ではないから、激昂の主体者ではないとみなされているのかもしれない。
ところで、道徳もまたパッションであるとみなせば、革命を目指す共産主義へのサルトルの共感がさらによく理解できるだろう。つまり、革命も道徳的追求もパッションであり、非日常の次元のものなのだ。いわば祭りの熱狂なのである。メルロ=ポンティがしつこく批判しているように、投企は自己完結的な満足であり、花火のような瞬間的なものである。サルトルは投企の連続を人生とみなそうとしているが、人はそのようなエネルギーの放出を維持できない。また、革命も一瞬のもの(永続的ではない)とメルロ=ポンティはみなしている。打倒すべき対象を打倒したとたん、革命は打倒した対象に成り代わらねばならない。革命は実現したならば消え去ってしまう。革命への情熱はその時点で失われてしまうのだ。
メルロ=ポンティが批判するのは、短期的でしかありえない非日常を日常化しようとする幻想である。
共産主義国の政治は日常的な営みであり、革命の非日常が続いているわけではない。永続革命というのは幻想である。幻想は政治を追い出してしまうのだ。
サルトルの投企は、個人の日々の営みの歴史性を無視し、それを賭けの連続に読み替えようとするものだ。賭けによって失われるかもしれないものに執着するのを軽蔑し、賭けの潔さ、大胆さ、そしてその興奮を称賛する。問題は賭けに勝つことではない、賭けをすることなのだ、と。だが、負け続けるような賭けは誰も維持できないだろう。
メルロ=ポンティは、不完全で退屈で苦労が十分には報われない日常こそが、私たちの生きる世界であると主張する。
しかし、そのような認識は、マルクス主義や実存主義の出発点であったはずである。世界は一般に語られているような道徳的に活気づけられているものではなく、その実態は物質がからんだ利害関係の相克でしかない。偽善的な道徳を拒否すること、イデオロギーというまやかしのベールをはいで現実を露わにすること、そこが出発点であったはずだ。
そこまではいいだろう。
そこから、マルクス主義は、人々の精神に働きかけるのではなく、制度という物質的な側面を変えることを主張し、実存主義は、自分のものではない不可解な世界を自分のものとして引き受ける覚悟を主張した。
メルロ=ポンティは、それらが目指すような一挙で全面的な処方箋は無効であると断罪し、世界には究極的な救いというようなものはないと、幻想からさめた者の苦々しい口調で言う。
むろん、彼は現実をそのまま受容せよとは勧めるのではない。できる範囲というのは事前には分からないものだし、あきらめることで現状維持に力を貸すことになってしまったり、あきらめないことで何らかの変化を起こすこともありうるからだ。試行錯誤という言葉や、「過ちては改むるに憚ること勿かれ」という助言は、事前には具体的に何も指示してくれない。やはり、やってみなければ分からないのだ。ただ、そのやり方を問題にすべきだというのが、メルロ=ポンティの平凡な結論である。
しかし、それが希望になるだろうか。その程度のことなら、各人が勝手にやるにまかせればいいのだ。何もメルロ=ポンティに教えてもらうことはない。だから、サルトルが何をしようと彼の勝手なのだから、たとえ幻想に取りつかれていようと、放っておけばいいことではないか。メルロ=ポンティのサルトル批判は余計なお世話ではないか。
メルロ=ポンティへのサルトルの追悼文(『シチュアシオンⅣ』収録、平井啓之訳、人文書院、1964年)を読んでみると、サルトルはメルロ=ポンティの批判の原因を主として政治的意見の相違に求めている。しかし、「サルトルとウルトラボルシェビズム」(『弁証法の冒険』収録)の内容からは、哲学的な思想の対立という要因もまた大きかったことが読み取れる。メルロ=ポンティの過剰とも思えるしつこい叙述は、哲学的批判を行いたかったからではないか。政治的意見の協調が可能であった時期には棚上げされていた哲学的思想の相異が、政治的意見が対立することによって持ち出されてきたのだ。メルロ=ポンティは、サルトルの生き方についていちゃもんをつけたのではなく、彼の考え方に異議をとなえたかったのだろう。
さて、共産主義が最重要問題であった時代を遠く離れたいま、メルロ=ポンティの批判は世界のどこかに据えられているのだろうか。世界のつまらなさについてはみなが承知しているのは確かだ。だが、そこからの脱出の幻想は根絶されることはない。最近では人々はスマホを使って投企している。革命はゲームとなって生き残っている。