精神の機能
発達障害についていくつか本を読んだのだが、以下の二冊に教えられることが多かった。一冊は『発達障害のウソ 専門家、製薬会社、マスコミの罪を問う』(米田倫康著、扶桑社、2020年)、もう一冊は『アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源』(エディス・シェファー、2018年、山田美明訳、光文社、2019年)である。前者は、発達障害の診断のあいまいさが、その他の様々な要因と結びついて、不適切な治療をもたらし、発達障害と診断された人々を苦しめることになっている現状を批判している。後者は、アスペルガー症候群という病名の元となったアスペルガー医師が、ナチス政権下で児童安楽死に関わっていたことを明らかにしている。「アスペルガー」という病名は現在では使われなくなってきているが、そのことにはこの本の影響もあるのかもしれない。
シェファーの本には、アスペルガー症候群という病名の成立の事情も記されている。自閉症に関するアスペルガーの1944年の論文を40年ばかり後になって読んだイギリスの精神科医ローナ・ウイングが、レオ・カナーが1943年にアメリカで発表した自閉症の概念と結びつけて、1984年に『アスペルガー症候群――臨床報告』という論文を発表した。それが契機となってこの病名が広がったのである。
アスペルガー自身はウイングの見解には反対だったようだ。自分の取り上げた「自閉的精神病質」の子供には優れた才能が見られ、カナーの「早期幼児自閉症」とは明確に区別するべきだと考えていた。勘繰ってみれば、安楽死施設に送り込まれようとした児童の一部を救い上げたと言いたかったのかもしれない。
ウイングは後になって上記論文のことを後悔し、死の直前(2014年)に次のように述べた。
「あんなことをしなければよかった。アスペルガー症候群も含め、あらゆる名称を捨て去って、多元的アプローチに取り組みたい。名称には何の意味もない。こんなに多種多様な側面があるのだから」
このウイングの発言は、アスペルガー症候群の概念を引き継いだ自閉症スペクトラム(ASD)という診断名への批判にもなっている。この診断名はアメリカ精神学会によるDSM(精神障害の診断・統計マニュアル)の第5版(2013年)で採用されたものである。DSM-Ⅳ(1994年)ではアスペルガー症候群(DSMではアスペルガー障害)は自閉症などとともに広汎性発達障害(PDD)という大カテゴリーの下に独立した下位診断として位置づけられていた。しかし、DSM-5では、PDDが属していたグループ名が「通常、幼児期、小児期、または青年期に初めて診断される障害」から「神経発達障害」と変わり、PDD自体もASDというカテゴリーに変更され、PDDの中の複数の下位診断カテゴリーがASDに吸収合併された結果、アスペルガー障害という診断名はなくなった。このような診断名の大幅な変更はASDを含む発達障害の実体がはっきりしていないことの現れと言える。
この混乱はDSMが操作主義の立場を取っていることの影響があるという指摘がある。症状には何らかの原因があり、その原因を特定して名前(病名)をつけることで、診断や治療の指針とするのが医療の一般的な姿であろう。ところが、精神障害については明確な原因を見出すことが困難であるので、諸症状の一定の組み合わせを一つの病気とみなそうとするのが操作主義である。そもそも実体としての病気というものの把握を諦めているので、病気とされたもの(病名をつけられたもの)の輪郭はあいまいである。
これは発達障害だけのことではなく、うつ病でも起こったことのようだ。私が読んだ『「新型うつ病」のデタラメ』(中嶋聡、新潮社、2012年)と『うつの8割に薬は無意味』(井原裕、朝日新聞出版、2015年)の中には、DSMに対する次のような批判がある。
ところが80年代に入って米国精神医学会は、DSM-Ⅲの操作主義診断を導入することで原因による分類・定義である内因性と心因性の区別をなくしてしまいました。
それまでは「ノイローゼ(神経症)」という概念がありました。米国の精神分析系、精神療法系の医師たちが好んで使う概念で、それはうつ病とイコールであるとは考えられていませんでした。しかしDSM-Ⅲで内因性と心因性の区別がなくなり、「ノイローゼ」の概念そのものが消えてしまいました。
これは、ある時点で「ノイローゼ(神経症)」患者が忽然と姿を消したのではなく、むしろ、概念自体が抹消されたためです。生物学的精神医学、つまり脳の研究をしている人たちが、精神分析を行う心理的な精神医学の人たちを追い出してしまったからです。ノイローゼという概念は、科学によって否定されたのではなく、米国精神医学界の、いわば業界内クーデターによって葬られてしまったのです。(『うつの8割に薬は無意味』)
その結果、ことにうつ病診断に関して、大きな問題が出てきました。精神病理学は、伝統的に、それが内因性かどうかという問題にこだわってきました。内因性であればそれは本格的な病気です。自殺に対する注意を含めた、しっかりとした対応と治療が必要です。しかし、内因性でなければ、それは病気であっても正常心理と連続したものであり、そんなに深刻に捉える必要がありません。その区別は質的なものであり、精神病理学的にしか行うことができません。
ところが診断を操作的方法で行うことにより、その区別はせいぜい曖昧にしかつけられないか、そもそもあまり問題にもされなくなりました。そして、内因性ではない疾患が日常的に「うつ病」と診断されるようになってしまったのです。一九九〇年頃から、うつ病は軽症化したと言われるようになり、その傾向は二〇〇〇年代になってさらに目立ってきました。(『「新型うつ病」のデタラメ』)
この背景にはもう一つ重大な変化があった。精神疾患における投薬治療の出現である。薬が症状を抑える効果があるのであれば、精神疾患は肉体、特に脳との関係があるのは明らかであると思われたのだ。うつ病においてはSSRIと呼ばれる副作用の少ない抗うつ薬の登場が契機となった。安心できる投薬によって治療が可能であるならば、「アート」ともみなされる精神療法は必要なくなり、病名さえ確定できれば治療はマニュアル化が可能になる。依然として脳において薬がどのように作用するかは不明のまま、診断においても「直観」からマニュアルへの転化がなされた(その際にうつ病の範囲が拡大した)。その結果、精神疾患治療にさほど習熟していない医師にも治療行為が可能になり、製薬会社が投薬対象の患者を増やすためのキャンペーンを行って精神科受診への敷居を下げたことと相まって、精神科医療の供給と需要がともに増加していった。そして、うつ病バブルが起こったのである。
同じことが発達障害についても起こっていると米田は言う。
発達障害者支援法(2004年:引用者注)の問題は、早期発見が何よりも優先される早期発見主義に陥ってしまったことです。本来診断されるべき人々が診断されていないこと(過小診断)ばかりが問題視され、誤って診断されてしまう過剰診断や不当なレッテル貼り、それに伴う不必要な向精神薬投与などの問題はほぼ無視されました。当時はうつ病キャンペーン全盛期であり、デタラメなチェックリスト診断、安易な投薬、薬漬けが横行していた精神医療現場の質を考慮すると、今後起こり得る未来については十分に予測できたはずです。(『発達障害のウソ』)
そもそも操作的診断基準も強引な思想であったため、このスペクトラム思想(疾患を明確なカテゴリーに分類するのではなく、連続した広がりとして捕らえる考え。DSM-5で一部採用された:引用者注)は一見するともっともらしく思えます。しかし、これでは何でもありの世界となってしまいます。実際、特定の専門家らが健常者と発達障害者の間に境界線はなく、程度の問題で誰もが発達障害の要素を持っているとキャンペーン報道や書籍を通じて大衆向けに発言しています。誰もが特性を抱えていることや線引きができないという考え自体には私も同意しますが、それを特性ベースではなく障害ベースで考えることについては大反対です。なぜならば、それは間違いなく過剰診断を引き起こすことになり、際限のない拡大解釈を許すことになるからです。(『発達障害のウソ』)
要は、発達障害という「病気」は混乱の渦中にあるということだ。ただ、その中で分かってきたことは、発達障害の症状とされるものは「健常者」とされる人にも見出されるものであり、何らかの対応が必要となるのはその症状によって社会生活に重大な支障がある場合である、ということであろう。しかも、医療による「治療」はその対応の中の一部分でしかなく、発達障害の病因はおろかその実態も定かでない現状では、限られた役割しか果たせない。
実は、発達障害に興味を持ったのは、私自身にもその症状があるように思われたからだ。私自身の考えでは、発達障害とは精神の機能不全(の一種)であるが、その不全とは機能の過多でもあり過小でもあるというものだ。不全という判断はこの世界で生きていくうえで適切な水準にあるかないかという基準によるものであり、現在の私たちにとっての世界は社会環境が主となっている。
精神の機能は生物としての人間個体の標準装備となっているはずだが、何らかの原因で異常が生じるだけでなく、標準とはいってもある範囲でばらついているだろう。製品の出来に差があるのと同じである。問題は世界(環境)がどの程度の範囲までその変異を許容するかである。人間社会は自然環境よりも、一部では許容範囲が広く、一部では狭いと考えられる。発達障害は現代社会の許容性の狭さを表しているようでもあり、逆に広さを示しているようでもある。