ある哲学者とのすれ違い
冨田恭彦を知ったのは、たまたま彼のデカルト論(『観念論の教室』)を読んだときである。明晰な語り口と斬新な視点に感心した。それで彼のカント論(『カント批判――『純粋理性批判』の論理を問う』と『カント入門講義 超越論的観念論のロジック』)も読んだ。無謀にもカントの三批判書をほとんど予備知識なしに読んだことがあって、私の解釈がどの程度妥当だったかを確かめたかったのである。私は哲学界に疎いので誰がカントに詳しいのかなど皆目見当がつかず、既知の冨田に頼った。冨田のカント批判は鋭く、私はただただ納得するだけだった。しかし、冨田の立場には共感しかねた。この違和感は何なのだろうかと気になって、以下の彼の著書も読んでみることにした。『ロック哲学の隠された論理』(勁草書房、1991年)と『観念説の謎解き ロックとバークリをめぐる誤読の論理』(世界思想社、2006年)である。
『観念説の謎解き』の序論には著者の立場が記されている。なぜ冨田に共感したのかはそれで分かった。
冨田によれば、19世紀後半に古典的イギリス経験論は現象学と分析哲学の誕生の重要な契機となったが、両派はその後激しく対立するようになった。ところが20世紀最後の四半世紀において、両派が接近して二つの立場に収れんし、その一つであるクワイン、デヴィドソン、ローティらのグループの近くに冨田はいるらしい。冨田はクワインの「自然主義」を高く評価する。それは「科学を解明するのに科学そのものを用いてよい」というものである。
私はラッセルに影響を受けているし、ラッセルに従って社会思想家としてのロックを評価するようになった。分析哲学そのものは敬遠したけれど、その考え方の圏内にいる人々の著作はいくつか読んだ。だから、冨田の立場は納得できる。
かつて日本の哲学界はドイツ偏重であり、たぶん今でも大陸系に親近感を持っているのではないか。冨田は現代につながる経験論の伝統を評価することによって、英米哲学への不当な貶価を変えようとしているのであろう。それも理解できる。
それではなぜ彼に違和感があるのか。そちらの方は、『ロック哲学の隠された論理』の「あとがき」を読んで分かった。
冨田は自己の思想遍歴について語っている。若いころ最初の出発点として「主観主義的・基礎づけ主義見解」を究めようしたが、やがて彼が軽視していた「他者とともにあるドクサの世界」こそが重要であるということに気づかされ、「転回」を経験する。そして、彼が主観主義哲学をそういう視点で見直すうえで、分析哲学が大きな力になった。
冨田のそういう考え方は私も察していた。『カント入門講義』から引用してみる。
ところで、私がカントについて一番興味深く思っているのは、ある種のものの見方がその人の心に組み込まれているという彼の考えです。
ただし、彼の考えを全面的に認めるわけではありません。カントは直観の形式にせよ純粋知性概念にせよ、そうしたものを恒久不変のものとしていたのですから、それは私には受け入れることはできません。けれど、人間には何らかの基本的な考え方の枠組みのようなものがあるという彼の説は、そのことを明確に述べた分だけ、あとの哲学者がそれを歴史化しようとするとき、その作業の跳躍台となりえたのです。そういう意味で、彼の考えは、のちのちの思想の転回に大きく貢献できたと私は思います。(207-8頁)
このような「歴史化」の典型としてトマス・クーンの「パラダイム」があげられよう。しかし、私にとっては事態は全く逆であった。「他者とともにあるドクサの世界」はマルクスに学んだ私の出発点であった。それは「イデオロギー」に他ならないであろう。私にとってのイデオロギーとは現行の道徳であった。利己性を基礎とする資本主義システムの実態を隠すのがイデオロギーとしての道徳であると思えた。一方で、共産主義社会は利己性を克服することが課題になる。しかし、資本主義社会においてはイデオロギーでしかない道徳が共産主義社会ではイデオロギーではなくなるとどうして言えるのか。マルクス主義は破壊においては有効であるが、建設においては頼りにならなかった。
そういうときに出会ったのが広い意味での「主観主義」だったのである。端緒になったのがモーリッツ・シュリック『倫理学の諸問題』(1930年)であった。シュリックがウィーン学団の主導者であったことはそのときに知った。シュリックによって、個人の利己性を組み込んだ道徳という考えに触れた。経済が利己性を基礎にすることは理解していたつもりだが、社会は経済とは別であるはずで、ましてや道徳と利己性が馴染むとは思いもよらなかった。ここから必然的にラッセルやプラグマティズムにつながっていく。ただし、利己性をどう見るかは定義による。試みられているのは利己性と利他性の間に利己的でもなく利他的でもない余地を作ること、と言った方が適当であろう。
経済学は資本主義を自発的交換のシステムとみなすが、社会学や哲学にも同じような考え方がある。社会学を少しかじったときに、パーソンズ対ホーマンズという文脈で社会的交換という後者の考えに興味を持った(彼が行動主義者である面は無視した)。冨田の本で知ったのだが、パーソンズとホーマンズはL.J.ヘンダーソンのパレートサークルのメンバーであり、彼らの近くにクワインがいた。
その後、私は集団を種単位で見る社会生物学に出会った。社会的交換を互恵的交換に変換するのは簡単だった。最終的に、人間の利己性は遺伝子にまで還元されるという見解に私は同調するようになった。ただし、利他性を利己性に解消する試み(たとえば自己欺瞞)については私は納得できなかった。利他性がなくとも社会は成立するという考えは説得的ではあったけれども、なぜ利他性というものがあり得るかという疑問は残った。利他性の説明には集団選択的な見方が必要だと私は思っている。
つまり、私は知らずに分析哲学の圏内を通り過ぎて、遺伝的進化論にたどり着いたのである。そこにいたのは遺伝子という究極的な主体であった。冨田とは逆の方向に歩いて、もといた位置を交換した形になる。たとえば、カントについては、彼のアイデアを「歴史化」するのではなく、「自然化」すべきだと私は思う。
私は冨田の業績を高く評価する。一方で、冨田が使う「科学」が限られているように思える。具体的には、脳科学や遺伝的進化論への参照が欠けているのではないだろうか。経験を重視するあまり、学習に重きを置きすぎるのはそのせいなのだろう。いわゆる「生得か学習か」論争においては、私は生得派である。むろん、この対立を不毛なこととして斥ける見解もあろう。しかし、その概念が無意味であるとは思われない。
遺伝子の伝道者であるドーキンスは「ミーム」という、いわばイデオロギーやパラダイムに似たような概念を推奨しているが、そのような試みを私は否定するのではない。私たちは流されやすい、しかし、一方では頑強に固執するのである(ドーキンスが宗教的信念にてこずっているように)。その謎を問うことは人間理解を深めることになろう。