井本喬作品集

いはんや悪人をや

 蔵書の中に『歎異抄』(金子大栄校訂、岩波書店、第24刷、1961年)があったが、私が購入したのではないので読んでいなかった。親鸞についてはあまり興味がなかった。今ごろ読む気になったのは歳のせいかもしれない。『歎異抄』を読んで、浄土真宗についてもっと知りたいと思い、『浄土真宗とは何か 親鸞の教えとその系譜』(小山聡子、中央公論新社、2017年)を読んだ。いろいろな意味で興味深い内容だったが、特に、親鸞の時代の社会がどのようであったかが彼の教えの理解に重要であることを教えられた。

  平安貴族は、病気治療ばかりでなく、自身の出世や天災の回避などを願うときにも、密教の呪術に依存していた。呪術に依存していたのは、貴族のみではない。庶民も、治病豊作祈願のために、念仏を称えるなどの行為をしていたのである。平安時代の社会は、現代に生きる我々から見ると、まさに呪術の浸透した神秘世界だったといえよう。(8~9頁)

  この本にも書かれているが、最澄が天台教学を学んで唐から帰国したとき、貴族たちが求めているのが密教の呪術であることに気づき、あわてて空海に密教の教えを乞うた。私はこのエピソードを『空海の風景』(司馬遼太郎、中央公論新社、1975年)で知った。そのときは、最澄がなぜそれほど懸命に密教を学ぼうとしたのかが不思議に思えた。『空海の風景』では密教の魅力を仏教の新しい流行として捕らえている。しかし、ただそれだけではなく、呪術を仏教的に洗練して体系化した密教が土着の呪術信仰をグレードアップしたものとして歓迎されたのだろう。密教は貴族たちの需要に応えるものだったのである。それを見抜いていた空海はやはり天才であった。

 呪術はいわば「自力」である。呪術という技術によって自己の望みをかなえようとするのである。その望みの中には、自己の心の平安や死後のあり方なども含まれていた。修行というのは、呪術にコストをかける一方法であり、高いコストの方が良い効果をもたらすという期待によるものだ。

 ところで、よくは知らないのだが、そもそも釈迦自身は修行の空しさに気づいたからこそ新しい教えを説いたのではなかったか。たぶん、釈迦の境地は世人には理解困難であり、仏教の発展は世俗の需要に合わせることによってなされてきたのだろう(他教との競争もあった)。来世の救いの約束や現世利益が重要なのであり、そのための貢献(自力)が評価される必要があった。その点における不徹底さが、インドの地に仏教が根づかなかったことの一因であろう。

 他力本願というのは、呪術や修行によっては心の平安は得られないという仏教の原点に回帰するものと私には思われる。浄土真宗の詳しい内容についてはここでは取り上げない。『歎異抄』の中で最も注目された一文、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」についてのみいささか述べてみる。この文の通常の解釈は以下のようになるだろう。自身の生き方にさほど疑問を抱かない「善人」は、自身の「自力」に頼ることが多く、阿弥陀仏に往生を願うことが少ない。一方、自身の生き方をコントロールできない「悪人」は、阿弥陀仏の「他力」に頼って往生するしかないと知る。それゆえ、「善人」でさえ往生できるのであれば、「悪人」が往生できるのは当然である。

 ここで問題になるのは、「悪人」が「悪人」のままで往生できるならば、「悪人」であることをやめる必要はないのではないか、ということである。親鸞が不在になった東国で「本願ぼこり」という問題が生じた。阿弥陀仏が保証してくれているのだから、いくら悪いことをしても往生できないことはない、という考えである。こういう考えに「他力本願」のままで反駁するのは難しい。「悪人」が改心しなければ往生できないというのでは、「いはんや悪人をや」とは言えないのであるから。

「他力」の強調は、「自力」(自助努力)を評価しないことで人間を堕落させてしまう危険性があるのは確かだ。親鸞はその点をどう乗り越えようとしたのか。

 ところで、親鸞(1173年生まれ)と同時期に布教活動をした道元(1200年生まれ)は、修行を信仰の根本にすえた。親鸞が「他力本願」を契機にし、道元が修行という「自力」を必須としたことで、両者は対立しているように見なされているが、それほど単純な話ではないようである。

 そこで、平岡聡『親鸞と道元』(新潮社、2022年)によって、「平安末期から鎌倉期にかけて日本の仏教を席巻した」(111頁)天台本覚格思想に対して親鸞と道元がいかなる立場を取ったのかを見てみよう。本覚思想とは、空思想に基づく相即の論理により、「現象世界(諸法)は即ち真理そのものの世界(実相)」「煩悩は即ち菩提(悟り)」「生死(輪廻の世界)は即ち涅槃」など、相反する両極を「即」で結びつける考えである。

  ともかく、本覚思想は社会のありかたにまで影響を与えたようだ。悟りの世界と迷いの世界が近づき、ついには重なってしまうと、出家者と在家者の無境界化も進んだ。日本中世では、皇族・貴族をはじめ、武士や民衆にまで在俗出家(僧形をした俗人)が流行する一方、寺院では寺僧にくわえて荘園や門跡運営などの世間的業務に従事する寺官(世間者)が登場する。こうして本覚思想を背景に、世俗は仏教化し、仏教は世俗化し、戒律を無視した結果、顕密僧の妻帯が常態化するなどした(平〔2017〕)。(117頁)

 余談になるが、こういう状況では、親鸞が妻帯したのは革新的なことではなかったようだ。それはともかく、このような事態に親鸞や道元が批判的であったのは当然であろう。しかし、両者とも本覚思想自体を否定しようとしたのではない。

 法然は本覚思想と対立した。浄土教は「此岸(娑婆・穢土)/彼岸(極楽・浄土)」という対比を明確にする。人はこの世で死んだ後に極楽に往生する。「娑婆と極楽、自分と阿弥陀仏が重なることはない」(118頁)。

 法然の教えを受けた親鸞は、法然とは異なって生前の救いを説いた。法然に比べて本覚思想に接近してはいるが、「ありのままでいい」とはしなかった。「ありのまま」では救われていることに気づけないのである。人が「ありのまま」以外にはなれないとするならば、他からの助けが必要になる。それが「他力」である。親鸞は念仏を救われてあることの自覚の証としたのだ。

 道元も、本覚思想を認めつつ、「ありのまま」では人が救われてあることの自覚(「さとり」)を得られないと説いた。「さとり」のためには修行が必要であり、修行によって「さとり」を維持し続けなければならないのである。道元は修行によって救われてあることの理解が得られるとしたのだ。しかし、道元の「諸悪莫作」の解釈(諸悪は作られない)を誤解して「何をしてもいい」という考えに陥った弟子がいた、というエピソードが示すように、現世において救われてあると説くことの危険は道元も免れなかった。

 では、「自力」というのはどういうことであるのか、突き詰めて考えてみよう。私たちは自らを起点にして何事かをなしうるのであろうか。これは自由の問題とも絡んでくる。自由を、物理的に可能であれば何でもできると定義してみよう。しかし、それだけでは人が何かをなしうるとはいえない。何かをなすということは、可能な行動の中からある一つを選ぶことである。その時その場所で可能な行動全てを同時には行えない。だとしたら、最も好ましい行動が選ばれるはずである。つまり、私たちは可能な範囲で自分が好ましい行動ができる。逆に言えば、私たちは好ましい行動しかできない。強制されたり、間違ったりしたときでも、そのことは妥当する。なぜなら、他に好ましいことがなかったと思ったからからこそ、その行動がとられたのであるから。偶然的な事故でさえ、その事故に遭うように導いた行動について同じことが言えよう。

 言い換えれば、私たちの行動には動機があるのだ。動機のないことはできない。何かの影響によって意図しない行動というのが生じることはあるだろうが、それは私たちがしようとした行動ではない。動機というのが私たちの行動の起点であるならば、自由に動機を持つことが「自力」であると言っていいだろう。

 科学は「動機」を(最終的には)物理的に説明できるとみなしている。必然の網の目の中に組み込めると考えている(ここで不確定性原理なんぞを持ち出すのは的外れである)。仏教も同じなのだ。「縁―無自性―空」というシステムに組み込まれている私たちには、独立した起点となる原理的な基盤がない。だから自ら動機を生み出すことはない。それができるとすれば、無から動機を絞り出すことになる。

 「悪人」というのは、自分自身を「自力」ではコントロールできない存在として認識した人のことである。善をも悪をもなしうるけれど、それは善であり悪であるゆえではなくて、そうしたいからする、と気づいた人なのである。しかし、その認識、その気づきが、縁起によって生じるとするならば、縁起においては必然だが、人間においては偶然ということになる。そのような縁起の「閉じた体系」から人間を救うのが、縁起の外からの阿弥陀仏の働きかけなのだ。

 親鸞にしてみれば、まず自分自身が自らをコントロールできないことの経験があり、その経験が彼自身だけの特有のものではなく普遍的であることの認識によって、「自力」の不可能性にまでに至ったものであろう。つまり、人間は本来「悪人」であるということになる。ただ、そのことに気づくことができないゆえに、人間はみな「善人」なのだ。だから、「善人」が救われる(往生する)ということは、それは「悪人」が救われることに他ならないことになるのである。

 このような形式的な議論は実際的ではないかもしれない。仏教における論理に形式性が強いのは、それがインドに由来しているからであろう。仏典が中国語に翻訳され、日本で解釈されることで、その形式性がどう変化したのかの知識は私にはないが、根本的には維持されているのではないか。その形式性を現実に適用しようとする、あるいは、現実の説明としてその形式性を適用することが、僧侶の課題となっているのだ。

 ところで、阿弥陀仏によって救われるには特定の条件が必要とするなら、阿弥陀仏の救いの対象とされる人がどのように選択されるかという問題が出てくる。阿弥陀仏が全ての人に働きかけているとみなしても、すべての人が救われるのではないからだ。阿弥陀仏の選択は縁起外のものであるから、私たちには理由が分からないということになるのだろうか。

 ここで思い起こされるのはカルヴァンの二重予定説である(ただし、ここでの解釈は正確ではないかもしれない)。神によって救済される者とされない者との区別は、その生き方如何に関わらず事前に確定している。ただし、人間は自分がどちらの側に定められているのか生前は分からない。となれば、生前に何をしようと構わないという気持ちに人はなるであろう。良いことをしようと悪いことをしようと、天国に昇る者は昇り、地獄に落ちる者は落ちるのだから。ところがカルヴァンは言うのだ、自分が救われていることを確信しているのであれば、生前に良きことをしてそれを証明するはずだ、と。

 それを援用するならば、「悪人」が阿弥陀仏の救いを確信したならば、もはや「悪人」ではいられない、ということになるだろう。「悪人」であり続けることは、阿弥陀仏の救いを否定していることを表すことになってしまうのだから。

 ただし、親鸞の本意は「自力」を否定することにある。つまり、「悪人」が「自力」で「善人」になることはないのである。それは行為の次元ではなく、存在の次元の問題であるのだから。つまり、人間はみな本質的には「悪人」なのである。人間が往生するためには、阿弥陀仏の助けが必要なのだ。

 人間が「善人」であろうとすることにおいて無力なのは、人間を越えた法(法則)が人間を規定しているからだ。その法は、人間にはどうすることもできないだけでなく、その存在理由が人間には理解できないのである。何のためにあるのか分からないものに縛られている人間には「自力」でできることはない。何かをしたところで、それは法がそうさせているにすぎないのである。

 この法は神のような人格的存在が作ったものではない。神のようなものがいるとしても、彼らもまたその法の中に捕らわれた存在でしかない。この法は本質も意味もない。『般若心経』の世界なのだ。

 この法を知れば、未来を予測したり、法に則ったやり方でものごとをうまく運べるかもしれないという期待は成り立つだろうか。そこに「自力」の余地があるようにも思える。私たちの経験からすれば、環境に働きかけることにより何か益するものを得られるはずだ。しかし、そういう私たちの努力でさえも法の支配下にあるのかもしれない。

 たとえば、唯物論は物質的な法の支配を強調する。マルクスの理論では生産力が全てを決める。しかし、労働者革命には「自力」が必要ではないのか。もし、革命が起こるも起こらないも物質的な法の定めるところであるならば(しかもその法の詳細を私たちが理解できないとすれば)、私たちの「自力」は「他力」の現象にすぎないことになる。これは必然論でもある。起こったことは起こるべくして起こった。逆に言えば、起こらなかったことは起こるはずがないことだった。今とは別でありうる、ないし、別であったかもしれないと思うことは、そう思うことが決められていたにすぎず、それだけのことでしかない。何をしようとも法がそう仕向けているのであるから、自己に責任などないという考えが起こるとしても、それも法がそう仕向けているのだから、やはり必然ということになる。

 そのような認識のもとでも、私たちは何ごとかを語ろうとする。言葉がこの状況を変えてくれるかのように。形式論理を免れるには言葉の多義性を利用するしかない。それが可能なのは、私たちが形式論理的なシステムのみで構成されているのではないことの現れなのかもしれない。

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