言葉は変化する
先に言及した『やちまた』は、いわゆる国文法の形成過程の最終期を描いているが、その後の日本語研究の方向を定めたのはこの国文法であったようだ。そういう認識をある本によって示唆された。
その本とは『日本語はなぜ変化するか 母語としての日本語の歴史』(小松英雄、笠間書店、1999年)である。私はこの本を刊行当時に読んだのだが、内容はすっかり忘れていた。「やちまた」読了後に、たまたま蔵書の中に見つけて、再読したのである。著者は著名であり、著書も多いので、出版からかなりたっているこの本の内容だけで著者の考えを代表させるのは無謀であろうが、とにかく国文法に対する著者の見方を引用してみよう。
国文法の基礎を築いた富士谷成章の『脚結(あゆひ)抄』(1778年)や本居宣長の『詞(ことば)の玉緒(たまのを)』(1758年)などに証拠として引用されているのは、ほとんどが『古今和歌集』を中心とする和歌の用例である。上引のような説明(引用者注:平安期の終止形と連体形の統合を女流文学の余情表現によって説明する)を思いつくのも、またその説明が抵抗なく受け入れられるのも、現今の古典文法が、近世以来の伝統を――というよりも、その基礎となった中世以来の伝統を――無批判に継承しているからである。和歌表現から帰納された用法を散文にも無条件に当てはめ、基礎社会方言の存在を忘れて日本語一般を論じたりするような感覚から脱却しなければ、過去の日本語の実態は見えてこない。(174頁)
これはいわゆる文語文法だけではなく、いわゆる口語文法に対する批判でもある。言葉の乱れを憂慮する「純粋主義者」は、ある時期に確立された「文法」を金科玉条としていて、言葉が変化するものであることを認めない。また、その「文法」が言語体系をどのように捕らえたものであるのかという批判的な視点がない。それゆえ、彼らは言葉についての自分勝手な見解を垂れ流すことになってしまっている。著者はそう指摘する。著者の立場は以下のように要約されている。
大づかみに言うなら、言語変化の動因は、当該言語共同体における新しい表現への欲求であり、言語変化は、その欲求を充足するための体系の調整である。個々の言語変化を説明する因果律の原理は、場当たりではなく、一貫していなければならない。(244頁)
であるならば、富士谷成章の「天土の言葉はことわりをもちて静かに立てり」という言明は、静止的すぎ、疎外的すぎるのかもしれない。言葉は内的整合性のある体系であるとしても、それは変化するし、変化させているのは人間である。そもそもそのような言語体系を作り上げたのも人間だ。
しかし、私たちは自由に(思い通りに)言葉を形成できるわけではない。言葉はコミュニケーションのためにあり、集団的な広がりを持つ。人々の間に何か共通の基盤がなければ言葉は成立しない。その基盤は、たとえば概念形成能力だけでは弱すぎる。もっと特化された機能、たとえば言語能力というものを想定しない限り、言葉の普遍性を説明できないであろう。言語能力というものがあるならば、それは遺伝的なものであるに違いない。つまり、非言語能力的な実践によっては言葉を作ることも変えることもできない。言語体系は私たちの外にあると同時に私たちの中にあるのだ。言葉の変化が体系的であるのはそれゆえである。
指摘されるまでもなく、言葉は学習される。生まれたときから母語が確定されているのではない。しかし、そのことは私たちが言葉を学習によって獲得できることを意味しない。母語(幼児期に接する言葉)は自然に覚えるのに、母語以外の言葉は学習しても容易に身につかない。私たちは母語として既存の言葉を憶えるのだが、そのためには言語一般を使える能力を前提として、ある特定の成長の時期にその言葉に接しなければならない。言葉は私たちが使えるものとして、そして、そのことと一見矛盾するようだが、個々人を越えたものとして、存在している。
社会に関する現象が対象として措定されるのは、そこに体系があるからだという趣旨としては、富士谷成章の上記の言葉はやはり適切な表現であろう。いわゆる国文学者が「やまとことば」を神聖視し、過去の言葉遣いを規範として現行の言葉遣いを正そうとしたことは批判されねばならない。けれども、彼等が言葉を体系として把握しようとして、ある程度成功したことは評価せねばならないと私は思う。責められるべきなのは、彼等の実績を受け入れながら、それを発展させることなく惰性的に維持しようとすることだ。
むろん、著者が言うように「人為的に構成され文法体系は虚構である」(191頁)。しかし、著者は続けて言う、「このような虚構は、真実に迫る手段としての虚構でなければならない」(同)。そういう意味ではあらゆる理論は虚構である。理論とは現実を理解するための方法・手段であり、その価値は有効性にある。
そこで、著者の理論的主張を見てみようとしたが、この本の内容は私には難解すぎた。そもそも私の勉強不足で、そこで批判されている従来文法さえ理解できていない。それでも、次のような著者の言葉には納得できた。「言語変化が生じる原因の一つは、特定の意味や含みを表す表現がほしいと、言語共同体の多くの人たちに感じられる状況が生まれることである」(123頁)。「言語の場合、無から有を生じさせる動因は、表現の必要から生じる言い誤りである」(125頁)。「間違いやすいために迷い込んでしまった道が結果的に便利な近道であるであることがわかれば、ほかの人たちもそこを通り、道路として地図にのるようになる」(127頁)。
著者の考えをほんの概略だけでも把握するために、「ら抜きことば」という用法について、私の理解した範囲において、述べてみよう(国文法といわれるものに対する著者の批判の詳細は省略する)。
自然生起を表すユ語尾動詞の「ユ」を、他の動詞にも使うために助動詞「ユ」が生じた。助動詞「ユ」は四段活用動詞未然形に後接するので、「ユ」を後接させるためには動詞の未然形末尾母音をアにしなければならない(四段活用はア、イ、ウ、ウ、エ、エであるから)。そのため、四段活用以外の動詞を疑似四段活用に変えて未然形語尾を「ラ」とし、「ラ」+「ユ」とした(単に「ラ」の挿入でないところがミソ。その理由は本書参照)。「ラ」が用いられたのは、ス語尾動詞が作動性他動詞、ル語尾動詞が非作動自動詞であるという組み合わせが日本語にあるので、疑似四段活用動詞もル語尾で形成されたから。その未然形語尾は「ラ」である。
助動詞「ユ」は先行動詞の意味との兼ね合いで、受身や不可能の含みを持ったりする場合が生じたが、自然成起の意味合いは残った。自然生起との結びつきを断つためには、「ユ」から離脱しなければならない。助動詞「ユ」から助動詞「ル」への移行は、自然生起から非作動への転換であった(非作動は自然生起・受身・不可能を統合する上位概念)。さらに、助動詞「ル」は尊敬用法をも担うようになった。
古代日本語の動詞には、基幹形(終止形)を軸にして四段活用の自動詞を下二段活用の他動詞に変換するシステムが機能していた。たとえば「立つ」の場合は四段活用(た、ち、つ、つ、て、て)を下二段活用(て、て、つ、つる、てれ、てよ)に変換する。しかし、この場合、終止形は両活用で共通であるから、両者の混乱が生じてしまう。この混乱を避けるために下二段活用の終止形は使用されなかった。その不便さから、下二段活用の終止形に「ル」が添えられて、他動詞の終止形を使えるようになった。(タツ→タツル)。これによって他動詞の終止形と連体形は統合されることになった(て、て、つる、つる、つれ、てよ)。
終止形と連体形の統合は、動詞だけでなく、形容詞や助動詞など、すべての活用語に生じている。助動詞「ル」の活用は下二段活用であるから、終止形は連体形と同じ「ルル」となった。(れ、れ、るる、るる、るれ、れよ)。
近世になって下二段活用が現代語と同じ活用に変化して、たとえば、暮るる→暮れる、流るる→流れるになった。これに連動して助動詞「ルル」も「レル」になった。この変化によって、この助動詞は準語幹「レ」を獲得した。準語幹「レ」を獲得したことにより、助動詞「ユ・ル・ルル」を後続させるために必要であった「ラ」(疑似四段活用未然形語尾)は不要になった。どの動詞に後接しても「レ」が介在することになったからである(書かれる、見られる)。見れる、来れる、食べれる、などの「ら抜きことば」が形成される条件はこの段階で整ったことになる。
四段活用動詞には助動詞「レル」による可能表現がない。19世紀になって、それぞれの動詞に対応する可能動詞が形成されたからである(書く→書ける、飛ぶ→飛べる、読む→読める)。それ以外の動詞で誤解が生じるのは、助動詞「レル」が尊敬表現と可能表現を兼ねているからである。「ら抜き言葉」の「来れる」を可能、「来られる」を尊敬と使い分ければ誤解は生じない。ただし、「レル」は語幹一音節以外の言葉ではまだ抵抗があるので、これが支配的になるかどうかはまだ分からない。
ただし、どれほど合理的な変化であっても、新しい言いかたは、当分の間、低く位置づけられ、それを使う人も低く評価されることを知っておくことは、社会生活における円滑な伝達にとって大切なことである。(241頁)
本書の内容が難しいのは、一知半解のアマチュアの介入に対するバリアーとして、難解さ(専門性)が機能しているからかもしれない。本書のプロローグに、ジーン・エイチソンの以下の言葉が引用されている。
ことばはだれでも話せるのに、話せるだけで、自分たちのことばについて権威をもって発言できると確信している人たちが多いことは、いささか不思議である。(8頁)
本書は四半世紀前に出版されたものだ。現在の言語学の現状、現行の言葉遣いに対する評価などについては、私は無知である。しかし、この著書を読んで、主流とされている見解が、「主に流通」しているからだけで正しいとは言えないことを改めて教えられた。そして、独創的な探求が知的な喜びをもたらしてくれることについて、著者に感謝したい。