アップル
本屋の棚を眺めていると、『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』(ジェフリー・S・ヤング、ウィリアム・L・サイモン、2005年、井口耕二訳、東洋経済新報社、2005年)という本があった。iPodの成功の後ならばこういう本が出るのは当然だろう。アメリカではアップルというのは特別な企業なのだ。アップルについて何か書けばそこそこ売れるのは保証されているらしい。手に取ってちょっと読んでみる。私はアップルの熱狂的なファンではないが、持っているパソコンはマックなのだ。
アップルの復活についてはいろいろなメディアで取り上げられていたが、アップル復帰の直前にジョブズが破滅の瀬戸際まで追いつめられていたことは知らなかった。ピクサーという企業がCGアニメで成功していることは知っていたが、ジョブズが大株主であったことは初耳だった(この本では契約をめぐってピクサーとディズニーが対立しているところで終わっているが、2006年5月にジョブズはピクサーをディズニーに売ってディズニーの大株主になり、取締役になった)。面白そうだと思ったが、買わずに帰って、図書館の蔵書を検索してみる。
パソコンで図書館の本を検索できるし、予約もできる時代である。それどころかグーグルでは本の内容自体を検索できるシステムを構築中らしい。この先一体どうなるのか、誰にも分からないだろう。私自身もコンピュータについては予測を誤った。電子計算機と言われていた頃から興味はあったのだが、コンピュータが人間のできることをできるようになるのははるか先のことだろうという評価をしてしまったのである。その評価は間違っていなかった。ただ、コンピュータは人間のできないことができることを見過ごしてしまったのだ。
全ての予測と同様、テクノロジーの普及の予測は難しい。例えば携帯電話。それが出現する前にそういうものを思いつくのはさほど難しいことではないし、SFの世界では陳腐すぎて取り上げる気にもならなかったのではないか。これほど人々の生活に大きな影響を与えるなどと誰が予測し得ただろう。あるいはインターネット。テクノロジーがコミュニケーションや情報流通というもの変えることは分かっていても、その重要性を真に認識し得た人はどのくらいいただろう。
さて、図書館には『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』があり、また『スティーブ・ジョブズの再臨 世界を求めた男の失脚、挫折、そして復活』(アラン・デウッチマン、2000年、大谷和利訳、毎日コミュニケーションズ、2001年)という本もあったので、早速両方とも借りて読んだ。アップルについては多少の予備知識はあった。『スカリー』(ジョン・スカリー、ジョン・A・バーン、1987年、会津泉訳、早川書房、1988年)を読んでジョブズがアップルから放り出されたいきさつを知っていた。『アップル薄氷の500日』(ギル・アメリオ、ウイリアム・L・サイモン、1998年、中山宥訳、ソフトバンク、1998年)を読んでスカリーが放り出された後のアップルの様子とジョブズの復帰も知っていた。『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』はそういうアップルの栄光と苦難の歴史をジョブズを中心にして描き、その後日談を付け加えている。この本の著者の一人サイモンは『アップル薄氷の500日』の共著者でもある。もしアップルに復帰したジョブズが業績回復に失敗したなら『アップル薄氷の500日』だけで十分で、これらの本は書かれなかったろう。iMac、iPodの成功がジョブズを注目に値する人物にしたのだ。
iMac、iPod(およびピクサー)の成功がなければ、誰も今のジョブズに興味を持つことはなかったに違いない。アップルⅡを作ったのはもう一人のスティーブ(スティーブ・ウォズニアク)だったし、ジョブズはこれといった何も生み出さず、何かを生み出す手助けよりも邪魔をしていた。彼が作ったと言えるかもしれないマッキントッシュでさえ、ジェフ・ラスキンが始めたものを横取りしたものであり(マッキントッシュという名はラスキンがつけた)、しかもジョン・ワーノック(アドビ・システムズの創設者)の技術によって「デスクトップ・パブリッシング」を実現したからこそ生き延びることができた。ジョブズは彼をよく知る誰からも嫌われる性格だった。パートナーのウォズニアクでさえジョブズを嫌った。いたるところで引用されているエピソードだが、アップルの創設以前、ジョブズはウォズニアクが作ったプログラムの報酬として1,000ドルを得ながら、600ドルに値切られたと言って、折半する約束のウォズニアクに300ドルしか渡さなかったのだ。
ジョブズが言葉によって人を惑わす力があるのは確かなようだ。彼を嫌う人でも彼のカリスマ的性格は認めている。ジョブズがペプシコーラの社長だったスカリーをアップルに引き抜こうと口説いた言葉にはそれが現れている。「あなたは人生の残りの日々を、ただ砂糖水を売って過ごすんですか?世界を変えようというチャンスに賭ける気はないですか?」とジョブズは言ったのだ。その人が必死になって売ろうとしている商品、当然その人が愛しているであろう商品を「砂糖水」などと呼ぶのは普通の人にはできない。こんな言い方は反発を買うだけだ。しかし、自分のやっていることに疑問を抱きかけた人には啓示的な響きとなる。そうか、いままで捕らわれていた神秘的な液体は、単なる砂糖水にすぎないのか。スカリーにはジョブズが預言者に見えたことだろう。
ジョブズの復活は結局は彼の実力を証明したものだろうか。あるいは単に運がよかっただけなのだろうか。少なくともジョブズは常人でないことは示せたわけだ。いかに運がよかろうと、二度目は待ちぼうけになってしまうのがほとんどなのだ。パソコン・ビジネスの世界でも幸運の女神の愛顧を受け続けるのがいかに困難かは、死屍累々たるその歴史を見れば分かる。
今となっては、ジョン・スカリーの自慢話である『スカリー』は、早すぎる自伝の危険(あるいはボロが出る前に収穫してしまうことの教訓)の象徴になってしまっている。スカリーはジョブズに説得されてペプシコーラの社長からアップルのCEOに転身したが、彼の在任中にアップルは市場シェアを20%から8%に落としてしまった。彼がアップルに移籍したのが1983年、この本を出版したのは1987年、アップルを退職したのは1993年である。ところで、1985年にコカコーラはその味を変えるという、結果的に大失策となる改革をやった。その改革の原因はペプシコーラの追い上げであり、スカリーはその立役者の一人だった。その辺りのコカコーラとペプシコーラの確執を書いたものとして、『コカ・コーラの英断と誤算』(トマス・オリバー、1986年、仙名紀訳、早川書房、1986年)、『コーラ戦争に勝った!』(ロジャー・エンリコ、ジェシー・コーンブルース、1986年、常磐新平訳、新潮社、1987年)がある。
それらを読んだことを思い出して、『たかがビールされどビール アサヒスーパードライ、18年目の真実』(松井康夫、日刊工業新聞社、2005年)という本を読んでみた。著者はスーパードライが発売された当時のアサヒビール・マーケッティング部長である。スーパードライは彼一人のアイデアと実行力によって生み出されたらしい(本人が書いた本だからといって、割引して受け取る必要はないだろう)。しかし、彼自身もあれだけヒットするとは思っていなかった。それまでのアサヒビールの味を「クリア」なものにすることで、当時圧倒的なシェアだったキリンラガーに対抗しようと考え、何段階かかけて味を変える計画を立てた。その二段回目がスーパードライだった。スーパードライの成功により、著者は取締役、専務、常務と出世し、将来の社長と目されるが、結局は子会社へ出されて本社へ戻らぬまま退任する。
商品開発者としては著者は成功者であった。しかし、アサヒビール躍進の功績者でありながら社内で足を引っ張られ、あまつさえその功績の名誉も分捕られて、著者は腹に据えかねている。著者の言う通りだとすれば、ジョブズの成功物語の逆のケースである。ここに日本とアメリカの違いを見るのは見当外れで、アメリカにもこのようなケースはあるだろうし、ジョブズの下にそういう目にあった人間がいるかもしれない。この本を読んで思ったのは、ヒットする商品を作ることの難しさである。新商品を作るのはさほど難しくないが、それがヒットするかどうかは誰にも分からない。運が大きな役割を果たすからだ。後から考えればいろいろな要素を見つけ出すことができる。しかし、事前にそれは不可能だ。スーパードライに刺激されてビールメーカーは様々な商品を開発したが、著者の関わったものを含めて、スーパードライの再現を果たしたものは出ていない。
であれば、アップルⅡ、マッキントッシュ、iMac、iPodとヒット商品に関わり続けてきたジョブズはやはりすごいのだろう。ビル・ゲイツでさえMS-DOSを守ってきたにすぎないのだから。
だが、まだ幕は下りていない。はたしてiPhoneはヒットするだろうか。ウィンドウズ・ビスタは受け入れられるだろうか。興亡の物語は書き続けられるだろう。