頂上での会話
林の中から現れたのはロボットスーツの登山者だった。この山は森林限界を抜けるほどは高くないので、頂上付近まで木におおわれていて、登山路の見通しがきかない。だから、一人で頂上にいた私は、誰かが近づいてきていることには全く気づかず、突然の出現に驚かされた。足音とか木の葉がこすれる音がしたかもしれないのだが、注意していないと聞こえない程度だったのだろう。頂上付近は木が切り払われていて、視界の広がった空間に出た登山者は立ち止まった。彼も人がいることを予想していなかったようだ。
「お邪魔ではありませんか」
「いえ、かまいませんが」
そう返事をしてから、私は自分の傲慢さに気がついて言い足した。
「私だけの場所というのではありませんから」
ロボットスーツの男は笑顔になった。
「露骨に嫌な顔をする人もいますので」
ロボットスーツをつけたときの休憩の姿勢というのはどういうものか知らなかったが、彼は私と同じように地面に座り込んだ。天気はよくて、日差しが暑いくらいだ。そよぐ風が心地よい。周りは緑の山ばかりで、遠くはモヤにかすんでいる。日本の低山に見られる典型的な景色だ。私は一応の礼儀として問いかけた。
「どこから来られました」
男はちょっと戸惑ったようだった。私の問いがあいまいだったからだ。この状況での「どこ」というのは二通りの解釈がある。そもそもの出発地、大体は住んでいるところになるだろうが、それと、登り始めたところ、つまり登山口だ。
「原田の方から登ってきました。人が少ないコースのようでしたので」
「遠慮されたのですか」
「そうですね。この山は禁止になっていませんが、やはり気を使います」
「私は気にしませんが、嫌がる人も多いようです」
「いろいろ言われてしまいますが、根本には、山は自分の体だけを使って登るべきだ、という信念があるのだと思います。ケーブルカーやロープウェイでさえいい顔はされないのですから」
「それは自然破壊の問題もありますから」
「登山道を作り、山小屋を作ることだって、自然破壊に変わりないのではありませんか。程度の問題に過ぎません。どこまで許容できるかということでしょう」
そう言ってから、男はスーツの胸のところをいじって何かの操作をした。
「温度調節ができるのですよ」
私は改めて彼の姿を見た。スーツは骨格部分以外は薄い皮膜になっている。ヘルメットは脳の情報を受けるのに必要なのだろう。背負っているバッテリーは薄く軽そうだ。全体的にごつい感じはするが、威圧感を感じるほどではない。
「それはオーダーメイドなのですか」
「そうです。障がいの種類によって必要な機能が違ってきますからね。私の場合は頸椎損傷で、手はある程度動かせるのですが、足は全然動かせません。これがなければ、山に登ることはおろか、歩くことさえできないのですよ」
「はあ、そうですか」
「そこまでして山に登るのかとお思いでしょう。生きがいとまでは言いませんが、趣味のようなものがないと人生は味気ないですからね。このスーツのおかげで登山を続けられています。できれば、もっと高い山にも登りたいのですが」
「そのスーツでは無理なのですか」
「いえ、日本の山ならどこでも登れます。けれども、有名な山のほとんどがロボットスーツの持ち込みを禁止しています」
「そうでしたね」
「危険だからというのが主な理由になっています。スーツの装着者だけでなく、周囲の人にも危険を及ぼしかねないというのです。でも、それは根拠のないことです。スーツを着けた登攀の成功事例が、安全性には問題がないことを証明しています」
「登山道が荒れるというのも理由の一つですね」
「ロボットスーツの軽量化は進んでいるので、登山道への負担は減らすことができます。むしろ、ロボットスーツでも十分耐えられるような登山道の整備をするべきだと思います。そのための負担金を取ってもいいのではないでしょうか。一般登山者の安全にもなるでしょう」
「あまり整備されてしまうのもどうですかね。登山が階段を上るようなものになっては、その魅力がなくなってしまいませんか」
私の絡んだような言い方に、男は答えるのをしばらくためらった。私にロボットスーツに対する偏見はないはずだったが、実際に現物が使われているのを間近に見ると、何となく反発の気持ちが起こったのは、私にも意外だった。出会う人間のそういう態度を、男は何度も経験したに違いない。適当に話を合わせるような会話にはならないと、男は覚悟したようだ。ただし、私にはっきりとした敵意や悪意がないことは男には分かっていたと思う。
「山という特殊な場所においては、誰にでもスーツの着用を許可してもいいと思うのです。一般の人が山に登るのは、平地とは違う環境に置かれるという意味で、障がい者と似たような立場になるのではないでしょうか。平地では発揮できた能力が、山では制限されてしまいます。それをカバーするために、ロボットスーツを使うという風に考えてはどうでしょうか。高山における酸素ボンベのような役割として。山岳救助の分野ではむしろ積極的にロボットスーツを取り入れようとしています。山小屋の連中も本音では使いたいと思っているはずです。山では、登山道の整備など、肉体労働が必要な場面がありますから」
「必要ならばスーツを使うことには誰も反対しないのではないですか。でも、必要もないのにスーツを使うことには抵抗があります」
男はにやりとした。あざ笑ったつもりはないのだろうが、愚かな発言をまた聞かされたという気持ちが現れたのかもしれない。
「必要性というのは個々人によって違ってくるでしょう。楽をして山に登りたい人もいるはずです」
「登る苦労を避けるのなら、何のための登山でしょうか」
「山には体力のある人間しか登ってはいけないのでしょうか。山頂に立つことが喜びであるのは、体力のない人も変わりないのではないでしょうか」
「そうですけど。ケーブルカーやロープウェイを使うのはかまわないと思います。でも、登山道を使うなら、歩ける人間は自分の足で登るべきだと思います」
「それは体力のある登山者の偏見ではないですか。すべての山にケーブルカーやロープウェイがあるわけではありません。そして、たいていは、山頂までは届いていません。どんな形でも、山頂にたどり着きたいという願いがかなえられるなら、いいのではありませんか」
「しかし、自分の力で登ったという喜びは、道具を使って楽に登ったのとは違うでしょう」
「道具ですか。それならば、登山靴をはかずにはだしで登った方が喜びは大きいでしょうか。登山の道具はどんどん改良されてきています。できるだけ道具を使わないというのなら、どの程度までがゆるされるべきでしょう」
「動力を使うか使わないかが一つの境界となりませんか」
「なるほど。それは有力な案ですね。しかし、その制限を自分自身に課すのはあなた方の自由ですが、それを他人にまで強制できるのでしょうか」
少し険悪な雰囲気になって来たので、私は間をあけることにした。私はロボットスーツ登山に関して、それほど頑固な反対者ではない。むしろ、どちらでもいいと思っているくらいだ。会話の成り行きで対立する形になってしまったが、こだわるつもりは少しもなかったのである。
頂上は静かだった。もう登山者は登ってこなかった。私は昼食の弁当を食べ終わっていたし、休憩も十分したので、下山するつもりだったのが、男との会話に引きずられて居座ってしまうことになった。もっとも、下山には大した時間はかからないから、余裕はあった。
「それはどうやって動かすのですか。脳から出される情報をスーツが受けて、体の動きと同調したり、それを増幅したりするのですか」
「そうです。スーツが神経の信号を解析して、体を動かします。少しでも体を動かせるなら、その動きをスーツが把握して、補正なり補助をしてくれます。私たちが体を動かすのは、脳の表面の働きだけではなく、脳の深部からの情報にもよるところが大きいのです。そのような情報は私たちが意識していないものです。動こうと思う先に体の方が動いているのです。だから、私たちがスーツの操作を憶えると同時に、スーツの方も私たちについて学習することになります」
「スーツによって、障がいの起きた以前より能力は大きくなるのでしょうね」
「適正な能力水準というのが設定されていて、不必要に能力を高めることは認められていません。ただし、緊急の場合に備えて、補助的な余力はあります。自動車が、坂道を登ることなどに備えて、平地での法的な最高速度を超える能力を備えているのと同じです」
「能力をもっと高めることは技術的には可能なわけですね」
「それも限度があります。能力を高くしようと思えば、バッテリーや骨格や駆動部などが大きくなってしまいます。重量自体はスーツが支えるから中の人間の負荷が増えるわけではないのですが、環境に与える影響が大きくて、使いにくくなります。公共の交通機関には乗れないし、道を歩くことだってままならなくなってしまう」
「でも、そういうのを着ていたら、スーパーマンにでもなった気になるでしょう。悪い奴がいたらやっつけてやると思えたりするのではないですか」
「それは危険な誘惑です。ボクサーが試合以外で他人を殴ることが禁じられているように、ロボットスーツを暴力に使うことは禁じられています」
「でも、自制できないときもあるでしょう」
「そうですね。感情のコントロールは難しいですから」
「カッとなってスーツの力を出してしまうようなことはないですか」
「金持ちケンカせず、ということわざをご存知ですか」
「知ってますが」
「立場が有利な人間はめったに怒りません。起こる必要がないからです。怒りというのは弱い人間が必要とするものなのです。怒りは人を非合理的にします。合理的な人間は、負けることが分かっているなら、ケンカをしません。ですから、合理的で弱い人間はケンカをする前から負けてしまっているのです。強い人間がそれを知っているなら、弱い人間を圧迫し続けるでしょう。ところが、怒りは合理的判断を無視させます。負けると分かっていながら、戦いを挑むのです。それでも強い者は勝つでしょう。しかし、勝つために相応のコストがかかるなら、強い者もさほど必要のない戦いは避けようとするでしょう。怒りにかられて行動した弱い者は、常に合理的に判断する弱い者よりも、自己の立場をいくらか有利にすることができるのです。ですから、怒りの感情は強いのです。負けるという恐怖に打ち勝たねばならないのですから」
「ロボットスーツを着用していると怒る必要がなくなるのですか」
「怒る場面は少なくなりますね。相手が気を使いますから。完全になくなるわけではありませんが」
「そういう場合はどうするのですか」
「そのための防止装置はあるのです。むろん、完全なものではないですが、他人に危害を加えようとする行動を抑えるようにはなっています。感情は偏桃体などの辺縁系が深く関与しています。そこでの情報をキャッチすることで、スーツの動きを鈍くするのです。詳しいメカニズムは私には分かりませんが」
「でも、防げないこともあるのでしょうね」
「ないとは言えません。しかし、スーツを着けることによって、そういう場面が減少することは実証されています」
「それは聞いたことがあるような気がします。でも、おっしゃるように、感情の抑制にスーツが効果的であるとしても、知性的に犯罪を実行するというようなことは防げないのではないですか」
「ロボットスーツを手に入れるだけの余裕のある障がい者は、そういう犯罪には無縁だろうという暗黙の了解があるのでしょう。あまり根拠のない信念ですが」
ロボットスーツの製造・販売には厳しい制限が課せられている。今のところ、民間では、障がい者以外にはロボットスーツは使用されていない。労働現場ではロボットの普及が進んでいて、人間がロボットの代わりをする必要性は見いだせないので、あえて許可を得ようとはしていない。業務でロボットスーツが使われているのは、警察や軍隊などの特殊な公的部門だけである。それらの業務もロボットで代替できないことはなさそうであるが、人間を抑えつけたり痛めつけたりすることにロボットを使うのは気が引けるのだろう。敵やテロリストでさえ、ロボットに殺させるのには抵抗がある。
ロボットスーツを、障がい者以外にも個人的に使用できるようにすべきだという意見は一部に根強くあった。しかし、その理由の妥当性を納得する形で示しえていないので、多数意見にはなり得ていない。ロボットスーツの個人的な用途はほぼスポーツとレジャーに限られてくる。その分野への導入にはクリアーすべき問題が多すぎた。ところが、障がい者はレジャーにロボットスーツを使える。それは不公平ではないのか、と声をあげるのははばかられるところもあり、もやもやとした感情が漂っているのだ。
実は、私もロボットスーツを使用してみたいという気はあった。一方で、たとえ使用が一般に開放されたとしても、その高価さが使用者を限定するであろうことに反発を感じていた。私たちより何世代か前の若者が、自動車について持っていた気持ちと同じではないだろうか。あるいは、ケータイが出始めたころの人々の反応。持っていれば何か素晴らしい体験ができるのではないかと思いつつ、具体的な使い方については見当がつかない。大して必要ではないし、なくてもどうってことはないと、高価で手に入らないことを気にしないようにする。酸っぱいブドウ。でも、車にしてもケータイにしても、今では誰でも持つことができる(車に至っては持たない方がトレンディとさえ言える)。ロボットスーツもいずれそうなるのだろうか。
私は言った。
「一般人にロボットスーツが許可されないのは、犯罪に使われる恐れが大きいからでもあるのでしょうね。日本では銃器や刀剣の保有が制限されていますが、それと同じ理屈ですね」「スーツには防御の効果もありますよ。弱い者が身を守ることができます」
「しかし、みながロボットスーツを着けたなら、能力の差はどうなるでしょう。結局、ロボットスーツを着けない状態と同じように、強い者が強いままではないのでしょうか。舞台が見えないからといって観客が立てば、その後ろの客も立たざるを得なくなり、それが連鎖してみなが立つようになってしまえば、結局立つ前と同じことになってしまって、事態は改善しないことになります」
「ロボットスーツを手に入れられるかどうかで差がつくでしょうね。だから規制があるのかもしれません」
こういう形で会話ができる機会があまりないのだろう、男は思いの内を吐き出すように続けた。
「しかし、規制をしても問題の解決にはならないのです。障がい者用のロボットスーツは認められていますが、社会的に容認されているわけではないのです。障がい者が非障がい者と同じような、あるいは非障がい者を超えた能力を獲得したなら、そうでない人々は、障がい者も非障がい者も含めて、いい気がしないのは当然でしょう」
「一種の嫉妬でしょうね」
「でも、それは、ロボットスーツを使う側にしてみれば、不当に感じられるのです。パラリンピックはロボットスーツを排除しようとしましたが、逆にパラリンピックの方が廃止になってしまいました。当然の結果です。機器の助けを借りれば通常かそれ以上の運動能力が得られるのに、それを使うことを禁じて、いわば足りないところを見世物にするような催しが受け入れられるはずがないでしょう。ロボットスーツを禁止して、遺物のような車椅子を使い続けるなんてことを、障がい者に強制できますか」
障がい者問題は論争するには微妙すぎるので、私は話をそらした。
「こんなに便利なものなのに、使い方に苦慮するなんて、不思議ですね」
「それが社会というものです。しかし、いずれロボットスーツは解禁されざるを得なくなるでしょう。そうなれば、今度はオリンピックが廃止になってしまうでしょうね。あるいは、ロボットスーツの大会になるのかな」
「問題が噴出しそうですね」
「一番の問題は、ロボットスーツを持てる者と持てない者の対立でしょうね。それを避けるために政府が支給するべきだ、ということを言い出すかもしれません」
「そこまで必要でしょうか」
「政府にしてみれば、損な話ではないのですよ。スーツによって人々を管理することができるのですから。最初は健康管理とか何とか言って、そのうちに行動を管理するようになり、しまいには思想まで管理しようとするかもしれません。それは可能なのですから」
「恐ろしいことですね」
「だから、スーツは商品として民間で流通する方が望ましいでしょう」
「ロボットスーツが手に入ったとしても、何に使えばいいのでしょう。やはり、スポーツや趣味になるのでしょうか」
「そうかもしれませんね。コンピュータが汎用品としてはスマホになってしまったように。私たちは生活を効率化しようなどとは願っていません。ただ、楽しみたいだけなのです」
「じゃあ、VRの方がいいかもしれませんね。あれなら戦闘ゲームもできますから」
「スーツの優れている点は、視覚だけでなく、五感に訴えることができる点にあります。たとえば、セックスです。VRのセックスでは、満足は部分的です。セックスドールというのがありますが、将来はロボットを相手のセックスが登場するでしょう。しかし、もっと違った形でセックスに技術進歩が寄与するかもしれません。たとえば、セックスドールのようなロボットスーツをまとって、セックスをすることが考えられます。それも、片方だけではなく、両方ともがそれを使うことだって可能でしょう。これは障がい者だけではなく、非障がい者にとっても好ましいことです。パートナーとのセックスに満足できない人は少なくないでしょうし、パートナーを満足させてあげられないことに悩んでいる人も結構いるのではないでしょうか。セックスの巧拙でパートナー関係がうまくいかないことがあるなら、こういうものを使えば解決できるのです」
「それはどうでしょうか。そんなものを使ったら、愛情を損ねてしまうことになりませんか」
「逆に愛情を支えることができるかもしれません。技術が幸せに貢献できるなら、セックスの分野を例外にしておく手はないでしょうね。ロボットを相手にするよりは、はるかに人類に貢献することだと思いませんか」
「ロボットに対抗すために、ロボットになるわけですか。そういうことも必要になるのかなあ。何だか、悲しい未来ですね」
「まあ、スーツにこだわることはないのかもしれませんよ。車だって、自動運転技術や駆動方式が進化すれば、スーツと似たようなものになっていくでしょうから。空飛ぶ車がロボットスーツになったって不思議ではないでしょう」
「でも、人間がスーパーマンになったら、一体何をすればいいんでしょう」
「そんな先のことをくよくよ考えたって仕方ありませんよ。今を楽しめ、ですよ」
「そうですね。山を相手にすることはできますね」
男はゆっくりと立ち上がった。眼下の景色を眺める男の姿に、私はなぜか悲しみのようなものを感じた。ロボットスーツは彼を孤独にしたのかもしれない。同情の代わりに、無視ややっかみや敵意を受けるようになってしまったのかもしれない。
男は言った。
「そろそろ下山した方がよさそうな時間ですね。ご一緒だとご迷惑でしょうから、先に下りることにします。ありがとうございました。いろいろ話すことができて楽しかったです」
「こちらこそ。そのスーツで穂高や北岳が登れるようになるといいですね」
「そうですね。そのうちそうなるでしょう。そうなったら、また頂上でお会いすることがあるかもしれません」
「それは楽しみです」
「では、お先に」
「お気をつけて」
男は林の中に消えた。私はまた一人になった。男がいたという痕跡は何もなかった。夢か幻覚のようにも思えた。私も下山を開始した。