たたら
2023年11月4日(土)、万博公園へ行ってみると、「日本工芸産地博覧会」というのをやっていた。職人が手仕事的に作り出す品物の紹介らしい。テント張りの五十余りの店が連なって展示をしていた。様々な製品がある。布製品、木工品、竹製品、紙製品、金属加工品、ガラス細工品等々。
特に興味深かったのは、和泉木綿のブースで糸繰車を回していたことだ。糸繰車は知っていたし、実物を見たこともあるが、その使用方法を始めて知った。それまでは大きな輪と小さな輪を結んでいるのが紡がれた糸だと思っていた。しかし、実際に使いながらの説明を受けて、大きな輪は小さな輪をまわすためのものであり、小さな輪の芯が延びているところに紡がれた糸が巻き付けられる構造であるのが分かった。また、綿繰機という、昔の洗濯機についていた絞り機を小さくしたような木製の器具があり、これは綿花から種を取り除くためのもの。さらに、小さな弓のような形の綿弓という道具もあり、これは弦で綿をはじいて綿打ちをするもの。これら一連の道具によって綿が加工されていることはまるで知らなかった。保存されている古い民家などには糸繰車が展示されていることが多い。他の道具類にも言えることだろうが、ただ置かれているだけではその使用法を理解するのは難しい。
会場の奥の隅に、島根県雲南市吉田町にある会社による「たたら」のブースがあった。ブースの近くに四角い形の小型の「たたら」の実物が設置してある。明日火入れをするそうだ。この会社はいろいろなプロジェクトを企画していて、その一つに田部家の「たたら製鉄」の復活がある。春と秋の年2回行われ、見学もできるそうである。
「たたら」を見に奥出雲地方に行ったことがある(この会社の創業は2021年だから、そのときにはまだなかった)。
一度目は2003年6月16日、仁多郡横田町に行った(横田町は2005年に仁多町と合併して奥出雲町になった)。司馬遼太郎の『街道をゆく』でこの地方のたたら製鉄が紹介されていたので、帝釈峡近辺の旅行のついでに寄ってみることにした。しかし、「奥出雲たたらと刀剣館」は月曜休館で閉まっていた。観光パンフレットあった「日刀保たたら」に行ってみたが、所在場所の鳥上木炭銑工場の事務所で聞くと、「たたらはその度に崩してしまうのでいまはない」、「たたら製鉄は冬にする」、「観光用ではないので見学には事務所の許可がいる」とのことだった。パンフレットには近くにカンナ流し場があることになっていたが、探しても見つからない。仕方なく何ら成果のないまま引き上げた。
二度目は、2015年9月3日、今度は「たたら」を目的に雲南市と奥出雲町に出かけた。山陽自動車道・尾道自動車道を経由して、松江自動車道の雲南吉田ICで一般道に降りた。ここには道の駅「たたらば壱番地」がある。雲南市は2004年に6町村が合併してできたのだが、吉田村はその一つである(現在は雲南市吉田町)。「雲南吉田くん」という悪ガキが雲南市の観光PRキャラクターになっている(現在は「しまねSuper大使吉田くん」に出世しているそうだ)。
吉田町には「たたら」製鉄を家業としていた田部家の土蔵群(20棟)がある。田部家は大地主でもあり、吉田はいわば企業城下町であった。感じのいい街並みである。「鉄の歴史博物館」があったが、寄るのは省略した。
たたら製鉄の施設とそこで働く人たちの住居のある場所は山内(さんない)といわれ、吉田の中心地から北上した山の中に「菅谷たたら山内」の「高殿」(たたら製鉄が行われていた建物)が保存されている。丘の上の駐車場から、高殿と傍の桂の大木が見下ろせる。高殿は矩形に近い長方形で、入母屋の大きな屋根がおおっている。色は茶色で、何で葺いているのか分からない。壁も茶色く、これは土壁のようだ。
丘を下ると小さな川が合流しており、二つの橋を渡って高殿へ行ってみたが、鍵がかかっている。道沿いに並んだ建物の一つである村下屋敷(三軒長屋)が受付になっているので、入ってみるが誰もいない。村下(むらげ)とは「たたら吹き」の責任者のことである。しばらく待つうちに係の男の人が現れ、説明を始めてくれる。私たちの他に二人の男性(同行ではない)が一緒だ。元小屋(山内を差配する事務所)は修復のためカバーに覆われていた。村下屋敷と米蔵も修復予定。高蔵は修復が完了している。
高殿の傍に立つ桂の大木は春に芽吹き、陽が当たると赤くなるが、それが見られるのは三日ほど。葉の色は赤から黄色、黄色から緑に変わっていく。
高殿の屋根は栗の木のこけら葺きで、列ごとに重ね合わせの向きを互い違いにしている。建物の木材も栗である。
高殿の中は大きな土間になっていて、中央に土の炉が復元されてある。炉は製鉄の度に作られ、壊される。炉の両側に足踏みのふいご(天秤ふいご)があるが、後期には水車からの送風に変わった。入口の反対側の壁添いに小鉄町(砂鉄置場)と炭町(木炭置場)がある。左の壁沿いには村下の、右の壁沿いには炭坂(次席)の待機場所がある。
案内人は、子どもの頃はここで遊んでいたと言った。一時は荒れるに任せていたのだろう。説明が終わる頃に激しい雨音がしだした。案内人が入口の扉を大きく開け放つと、豪雨である。しばらく待つと雨がやんだので引き上げた。
吉田の中心地まで戻ってから東へ、矢入大滝に寄るつもりが、場所が分からずあきらめて北へ。途中「天空の棚田」という標示があったが、「上山の棚田」というのが正しいらしく、規模は縮小しつつあるようだ。ちょうど稲が実っていていい景色である。その日は国民宿舎青嵐荘に泊まった。ここは湯村温泉というらしく、斐伊川の対岸に宿泊施設がいくつかある。宿からは中国電力湯村発電所が見えた。
翌4日、314号線を東へ、大きな尾原ダムを左手に見て進むと、「さくらおろち湖」と名づけられたダム湖の傍に道の駅「おろちの里」がある。ヤマタノオロチ伝説にちなんでいるらしい。さらに三成の街を経由して奥出雲町横田へ。前回見損ねた「奥出雲たたらと刀剣館」へ行く。最初にビデオを見せられたが、砂鉄を採取した跡を田にするといった内容のエコ関連的なものだった。砂鉄の採取は農業との摩擦があったようだ。展示としては、「たたら」や「ふいご」の実物大模型があり、昨日の「高殿」での知識が補填されて興味深かった。たたら製鉄による玉鋼は日本刀の製作に必要であり、ここでは日本刀鍛錬実演もされているとのこと(日時限定)。観客は私たちの他には男の人一人だけだった。
次に、これも前回見損ねた「羽内谷かんな流し」跡を探しに行く。「鉄穴流し(かんなながし)」とは砂鉄の採集方法で、岩石や土に混じった砂鉄を川や水路の流れの破砕力を利用して土砂と分離し、比重差によって砂鉄のみを取り出す。花崗岩中の砂鉄は1~5%、それを「鉄穴流し」によって80%程度まで高めるので、大量の土砂が流され下流に様々な悪影響を及ぼし、紛争も起こった。
横田の東方に「日刀保たたら(鳥上木炭銑工場)」があるが、「羽内谷かんな流し」跡はまだその先になる。県道108号線をたどるが、なかなか見つからない。急に激しい雨が降り出し、あきらめて引き返す途中でようやく見つかった。標識はあるのだが、逆方向からは見えにくいので見逃したようだ(この標識は建てかえられたようで、「羽内谷鉱山鉄穴流し本場設備」と記してある)。雨が小降りになったので見学する。小さな谷川の横に水路の跡があるだけなので、ちょっと拍子抜け。
横田へ戻り、西南の方角に向かい、絲原家へ行く。絲原家は製鉄で栄えた家である。展示のある記念館と建物と庭園を見る。見学者は私たちだけだった。職員らしき人が建物や庭の手入れをしていた。人里離れているが、よく保持されていて、落ち着いた雰囲気の場所だった。
絲原家の受付の人に教えられたので、「鬼の舌震(したぶるい)」へ行ってみる。斐伊川の支流の大馬木川の渓谷で、2kmほどにわたって岸壁や岩石が景勝をなし、甌穴も見られる。駐車場が三か所あり、宇根駐車場に停める。「恋吊橋」という橋を渡り、谷の高いところに設置してあるバリアフリー路を歩く(板敷で平らであるが、濡れていると滑りやすい)。水面ははるか下方。清心亭という休憩所から下の道で引き返す。なかなか面白い風景だった。ちらほら観光客がいる。
車でしばらく走ったところで蕎麦屋を見つけて昼食。国道432号線に出て南下、可部屋集成館・櫻井家住宅に行く。櫻井家も製鉄で財を成した家。櫻井家は塙団右衛門(大坂の陣での豊臣方)の末裔を称している。可部屋集成館は櫻井家に関わる資料を展示している。住宅と庭も見学可。庭には水が高所から流れ落ちている「岩波の滝」がある。建物の前の川は淵と瀬があって美しい。
ここで引き上げることにする。松江自動車道の高野IC近くの道の駅「たかの」のカフェでティータイム。カラスの外にいたおじさんが近づいてきて、持っている草を示し、声が聞こえないので、指で字を書いた。「おちや」と読めたが何のことか分からない。外へ出たとき何かの作業をしているおじさんのところへ行くと、「お茶」だと分かった。庭木の手入れで抜いたマメ科の雑草がお茶になるらしいのでもらった(後で調べるとカワラケツメイという植物のようだ)。
来た道を戻って帰った。